第9節 ミミクリー③、乃至かまいたち⑦
ヴォドフライヴィチにくだされた暗殺指令の対象には、あの熊みたいな大男も含まれていた。
「自国の人間を殺す必要があるのですか?」ヴォドフライヴィチは訊いた。「それも技術畑から政治領域にいたるまで、各分野のキーパーソンがリストアップされているように思いますが」
司令官は指で眼鏡のフレームを抑えながら言った。「かまいたちは、あまりにも成果をあげすぎた」
窓一つない灰色の会議室は一瞬の沈黙に包まれた。司令官は軍服の襟の位置を直すように指でずらしたが、その動作の前後でなんら変わり映えがないようにヴォドフライヴィチは感じた。
「各国要人の不審な死は、当国による工作ではないかと、疑いのむきが強まりつつある」神経質そうに目を細め、指令は再び眼鏡のフレームを指で押しあげた。「当国にとって都合のよい死を量産しすぎた」
指令の言うことはヴォドフライヴィチにもよく理解できた。もっとも、理解できようができまいが、くだされた指令を遂行するほか選択肢はないのだが。会議室を出る前に指令は振りむき、こうつけ加えた。
「この件は非公式に議会の承認を得ている。よってこの計画は、かぎられたごくわずかの人物しか把握していない。だれにも情報を漏らすことなく、悟られることなく指令を実行するように」そこまで言うと、指令は踵を返した。「ダミーの指令を送る。くれぐれも慎重に動くように」
※ ※ ※
擬態した十五歳の少女の身体は細く、ひどく頼りない線を描いている。毛髪や皮膚、衣類などの表面的なパーツ以外に、骨格や声帯などの内部構造も、質量やそのつくりを変えて完璧に再現される。あくまでも記憶データを頼りに、ということだが。
擬態するたびに、ヴォドフライヴィチは自分がわからなくなる。だが、すぐに思い直す。そもそも生まれたときから、自分というものを持ち合わせていないのだと。それは後天的に身に着けられる類のものでもないのだと思う。そう考えるとき、そこになにかしらの感情が浮かぶことはなかった。
少女は家にたどり着くと、真っすぐに父親の書斎にむかった。今日この時間であれば、少女本人が帰宅していることはなく、また父親がいることも確実だった。
書斎の扉をひらき、宙に浮かべたいくつかのホログラムにデスクでむきあう父親――熊のような大男に歩み寄った。少女の気配が伝わった瞬間、父親はすべてのホログラムをスリープモードに切り替え、デスクチェアから立ち上がった。
「勝手に入るな」熊のような大男は少女に近づきながら、鋭く言った。「士官学校はどうしたんだ?」
距離が縮まった瞬間、少女は男の胸を刃物で突き刺した。刃物は男の分厚く柔らかい肉を通り抜けるように、音もなく奥深くに突き刺さった。
少女が刃物を引き抜くと、熊のような大男はその場に倒れた。スローモーションで流れる、映画の重大なシーンのように。男の言葉にならない大声が響いたが家に
男は脳波とリンクしたデスクトップデバイスを操作し、異常を外部に知らせようとした。デスク上でスリープモードとなっていたホログラムの一つが男の眼前に素早く移動した瞬間、少女は男に馬乗りになって、その身体に再び刃物を突き立てた。男と少女の目があった。男はすべてを悟ったような目をしていた。
「真綿で首を絞めるような、果てしない世界がこれから続く……。おまえを解放できたのは私だけなのに、なんと愚かな――」
すぐに男の目の光は失われた。
※ ※ ※
おおよそ一年かけて、ヴェーディマにも悟られぬように、ヴォドフライヴィチが自国の要人の暗殺をおえたころ、事態がおおきく動いた。
地下国家が、宇宙に進出する動きが本格化したのだ。ヴォドフライヴィチが属する国も限られた一部の人員――よりすぐりの——を、宇宙へと派遣することを採択した。その対象に、ヴォドフライヴィチも、ヴェーディマもふくまれていなかった。
だからといって、これまで通り地下都市にとどまることもできなかった。長い大戦によって、世界の人口はピーク時のおおよそ五分の一にまで減少していた。ヴォドフライヴィチが属する国も例外ではなく、かぎられたリソースを宇宙領域に集中させる戦略をとった。
よって、ありとあらゆる管理が脆弱になることが予見される地下都市に、ミミクリーという危険因子を残しておくことはできなかった。また、想定外のことが起こり得る宇宙に、ミミクリーの運用を移管させることも現実的ではなかった。
政府はミミクリーを地上に隠すことにした。リソースの観点から地上を蘇らせようという動きがとられることは、世界的にまず考えられないことだった。地上は汚染が進み、すでに人間が住める環境ではなくなっていた。しかし、ミミクリーには放射性物質に対する免疫機能が搭載されていた。
政府はまず、地上の旧国土一帯に、電波妨害——ジャミングを施した。次に国境の要所にもともと設置されていた、自動迎撃要塞のメンテナンスを実施した。
指令はヴォドフライヴィチとヴェーディマを呼びつけた。
「きみたちはこれから地上で生活をしてもらう」指令は眼鏡のブリッジを指で押しあげて言った。「きみたちが新しい世界をつくるんだ」
あまりにも突拍子もない話に、ヴォドフライヴィチも、ヴェーディマも声を失った。
「必要な知識と技術をこれから授けよう。さらにおおくの子をなし、村をつくり、街に発展させるんだ」指令は能面のような顔で言った。「きみらはさしずめ、アダムとイヴになるのだ」
「ミミクリーはもう、必要ないということでしょうか?」ヴェーディマは細い首を傾げるように尋ねた。
「であれば廃棄している」指令の声には抑揚がなかった。「危機的状況における退避と考えてほしい。きみらの時間軸でみれば、あくまでも一時的なものだ」
ヴォドフライヴィチとヴェーディマの返事を待たずに、指令は会議室のドアにむかって歩きはじめた。
「いつの日か必ず、再びきみたちを必要とする。そのときは声をかけにいく」
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