第4章 かたちを変える影

第1節 工場②

 工場の小太りな門衛もんえいは、相変わらず横柄だった。


「なんだい? 面会の約束なんて聞いちゃいないが」前回同様、寝起きの門衛はいかにも不機嫌に言う。


「修理に出していた車を取りにきた。自動車の修理工場と約束をしている」


「聞いちゃいないんだがね、そんな話は」


「確認をとってもらえるかな」


 門衛は緩慢な動作で電話機にむかって歩いた。電話台までたどり着くと、彼は受話器を取り上げて、ボタンを操作して内線電話をかけた。


 受話器越しに話しながら、目をこする門衛をジェイは眺めた。欲に負け、だらしなく突き出た腹が不愉快に思えた。


 電話をおえて、受付に戻ってきた門衛は言った。「車ごと入りな」


 ジェイは車にむかって歩き出した。その背中に、門衛は思い出したように言葉をぶつけた。


「なあ、次もし工場にくることがあったら、おまえさんが取り付けた約束を、間違いなく俺まで届くようにしてくれないか? いちいち確認するのも、いい迷惑なんだ」


 ジェイは歩みを止めて門衛を振り返った。一瞬だけ門衛の目を見やり、無言で踵をかえして、再び車に歩きだした。門衛の目は、濁った膜が張っているようにジェイには見えた。


「よう、なんか言ったらどうなんだい」門衛は低い声で言った。


 門衛を無視して運転席に乗りこみ、ジェイは車を発進させた。


 門の受付で車を停止させ、運転席の窓を開けて、再び門衛の目を見た。ジェイの表情にはどんな色も浮かんでいなかった。


「連絡があんたに行き届いていないのは、あんたらの問題だ」ジェイは開いた窓を閉めながら言った。「僕には関係ない。あんたらでうまくやることだな」


    ※  ※  ※


 自動車修理工場の青年も、前回会ったときから変化はなく、相変わらず快活だった。


「車を取りにくるのが、すっかり遅くなって申し訳なかった」ジェイは頭を下げた。「外せない用事だったもんで」


「いいんですよ、いつだって」青年は顔の前で手を左右に振りながら言う。「どうせ忙しくはないんです。お渡ししてた代車が必要になるようなことだって、めったにないことですし」


「オートパイロットは、ずいぶん便利で楽だった」ジェイは実感をこめて言った。


今日日きょうび、オートパイロットがついていない車のほうが少ないですって」青年は笑う。「まあ、もう長いこと技術的にはまったくなにも進歩していないんですけどね、自動車は。むしろどんどん技術が失われて、後退しているくらいで。車に限らず、なんにしてもですが」


 青年はジェイが修理に出した車のキーを差し出す。ジェイはそれを受け取り、軍払い下げのダッフルコートのポケットにしまう。


「そういえば電話で、かまいたちの手がかりを見つけたと言ってた件について、聞きたいな」真っすぐに青年の目を見て、ジェイは言った。


「ああ、そうなんです。いや、もちろん忘れていたわけじゃないんですけど……」青年は口ごもった。


 青年が話し始めるのを、ジェイは辛抱強いウシガエルのように、じっと待った。


「実は、目撃者が見つかったんですよ」青年は言った。「ケーが殺されたくらいの時間に、あなたの家に入っていった男を見たという人が」


 ジェイは胸から頭にかけて、名状めいじょうしがたい波が駆け抜けるのを感じた。それから潮が引くように、周りの音や気配が遠のいたような気がした。


「その人を紹介してもらえませんか?」


「もちろんです」青年は頷いた。「うちの工場に出入りしている、保険外交員です」


    ※  ※  ※


 久しぶりに運転する自分の車は、なんだか別物のようにジェイには感じられた。


 代車の電気自動車にすっかりと慣れてしまったのだと思った。オートパイロットはとても便利で快適だった。いっそのこと、車を買い替えた方がよかったのかもしれないと、ジェイは後悔を覚えた。


 その後悔も、助手席のシートに付着したケーの血痕を見ると、次第に薄れた。この車を修理に出してよかったと、ジェイは思い直す。すべての片が付くまでは、この車を乗り換えることはできない。そう思った。


 自動車修理工場を出たジェイは、タイヤ工場を目指した。ケーと一緒に働いていた、班長に訊かなければならないことがあった。


 タイヤ工場に着き、無人の受付カウンターにむかってジェイは来訪を告げた。前回同様にやや間があってから、人のよさそうな中年――班長が出てきた。


「これはこれは」班長はいかにも親愛をこめた笑みを浮かべた。「気になることがでてきましたか?」


 ジェイはパーテーションで区切られた、簡易的な応接室に通された。


 班長はコーヒーをれようとしたが、ジェイはそれを断った。手短に話したかったのもあるが、班長がコーヒーカップを左右に揺らし、ソーサーとこすれる、耳障りな音を鳴らしていたのを思い出したからだ。


「五点、あなたにお聞きしたい」ジェイは平板な声で言った。「一点目。弟のケーは、自動車修理工場の青年と親しかったらしい。青年はここ、タイヤ工場にもしばし訪れていたそうだ。あなたはそれをご存じなかった?」


「はて……自動車修理工場の青年ですか?」班長は首をひねった。「それは知りませんでした。もっとも、私は入社してからかれこれ三十年以上、ずっとタイヤ工場勤務なものですから、自動車工場勤務の従業員は、ただの一人もわからないのですが」


「二点目」ジェイは遮るように言った。「ケーは殺された日の午後、会社を早上がりして、もみの木の森に行くと言っていたらしい。それも知らなかった?」


「前回もお話ししたと思うのですが……」班長は恐縮したように頭をかいた。「なんにも聞いていませんでした。まずもって、業務以外の話題はあがらない職場ですから」


「三点目。五年前にタイヤ工場で、かまいたちが起こっている。これは事実?」


「はい、まぎれもない事実です」班長は法廷に立つ被告人のように言った。


「なぜ、それを前回言わなかった?」


 班長は宙を眺めてから、口を開いた。「それはなんとも答えがたいですね……。シンプルに、その点については尋ねられなかったから、としか申し上げられません」


「訊かれなかったから、話題にしなかった?」


「はい、そうです」


「なるほどね」ジェイはため息をつく。「次に四点目。タイヤ工場でかまいたちがあったとき、目撃情報はあった?」


 班長は少しだけ考えてから答えた。「なかったと思います」


「死体が発見されたときの状況は?」


「朝、従業員が出勤して、執務スペースで発見しました。入り口近くで倒れていたんです」


「監視カメラの映像や、門を出入りした記録とかも残ってなかった?」


「はい」班長は頷く。「この事務所には監視カメラが設置されていませんし……訪問の受付記録にも、それらしきものはありませんでした」


「最後に五点目。この工場は全体として、いったいなにをつくっているんだろう。そもそもどんな会社なのか?」


「それは、わかりません」班長は即答した。


「三十年以上も勤めているのに?」


「はい」班長は照れたように笑う。「気にしたこともありませんでした。逆に質問ですが、それは私たちが考える必要があることですか?」


「僕だったら、考えると思うが」ジェイは諦めたように言った。


「そういう風に考えたことは、なかったですね、お恥ずかしながら」

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