第2節 保険外交員
ジェイはその日のうちに、自動車修理工場の青年から紹介された保険外交員と、エフ市街の喫茶店で会った。
その喫茶店は客のほとんどが老人だった。老人たちはなにをするでもなく、席に座ってほとんど身じろぎもせずに、じっとしていた。生きているというより、まだ死んでいないだけというように。
「ほんとうは保険の勧誘なんて、したくもないんですよ」保険外交員はそう言って笑った。「
ジェイは保険外交員を眺めた。黒い短髪を立ち上げ、誇らしげに広い
男の髭は綺麗に剃られていて、濃紺のスーツに身を包み、白いシャツは染み一つない。こげ茶のソリッド・タイのダブルディンプルが、男が熟練のセールスパーソンであることを演出している。
「まあこのご時世、そもそもろくな仕事なんて、ありはしませんが」保険外交員は自嘲気味に笑った。
ジェイは相槌を打つように頷いてから言った。「さっそくですが、単刀直入に聞きたい。かまいたちがあったクリスマス・イヴに、僕の家に入っていく男をあなたは見た。これはほんとうですか?」
「はい、ほんとうです」保険外交員は真剣な
「あなたがその男を目撃したのは、何時くらいのことだったんですか?」
「十六時くらいのことだったと思います。日が暮れ始めていました。そのとき私は、ちょうどあなたの家の通りを歩いていました。お客様の家にむかうために」
「そのとき見たことを、具体的に聞かせていただけますか?」
「ええ、もちろんです。あなたの家はちょうど進行方向の先にありました。私が歩いていた地点からは、少し距離があります。むこうから、一人の男がこちらに歩いてくるのが遠目に見えました」
保険外交員はそこまで言うと、息継ぎをするようにコーヒーを一口飲んだ。ジェイはテーブルの上で両手を握り、話の続きを待った。
「男はぱっとしない色の厚手の防寒着を着て、ファスナーをぴっちりと上まで締めていました、ズボンも防水仕様のように見えるものを穿いていました。靴は黒くてボリュームがある、いわゆる安全靴みたいでした」
「よくそこまで細かく覚えてられますね」保険外交員の話が具体的すぎることに疑問を感じながらも、ジェイはさも感心しているという風に言った。
「仕事柄、視界に入った人のことを観察して、覚えておく癖がついているんです。いやな仕事ですよ」保険外交員はばつが悪そうに笑った。
保険外交員は水を一口飲んでから再び口を開いた。「続けますね。男は中年でした。そうですね……だいたい五十代くらいでしょうか。髪は長くも短くもなく無造作で、きれいな金髪でした。ちょうどあなたの金髪みたいに」
保険外交員が話す男の姿をイメージしながら、ジェイは話を聞いた。
「その男は突然曲がり、あなたの家の敷地に入っていきました」保険外交員は言った。「私はあなたの家の前を通り過ぎるとき、なんの気なしに、あなたの家の戸口の方を見ました。家に入っていった男の恰好は、あきらかに街着ではなかったので、なんとなく気になったのです」
ジェイは保険外交員の目を見て話しの続きを待つ。保険外交員の声は自信に溢れていて、いかにも押しが強いセールスパーソンそのものだった。
「そこで私は見ました。殺されたあなたの弟さんが家のドアを開き、全身防寒着の男が、あなたの家に入っていくのを」
「防寒着の男が家に入っていったのは、間違いないんですね?」
「はい」保険外交員はゆっくりと、力強く頷く。「間違いありません」
ジェイはテーブルの一点を見つめ、額に手をあてて考えこんだ。二人が座っている席は窓際で、小さな窓から弱々しい陽光が店内に射していた。ジェイが髪をかきあげると、陽の光に照らされた金髪は、扇を開いたように規則的な動きをした。
「ひとつ、気になることがあります」保険外交員はジェイの目を覗きこんだ。
「なんでしょう?」
「そのときの弟さんの表情です」保険外交員は一呼吸置いた。「これは見間違いの可能性も、おおいにあるのですが……、ドアを開き、男を家に招き入れた弟さんは、困惑しているような、あるいは驚きを隠せないといった顔をしているように見えました」
※ ※ ※
日が落ち始めたころ、ジェイはアイの
ジェイは洗面台で顔を洗った。水は肌に刺さるように冷たかった。顔を洗うとリビングルームのソファに寝転んだ。ソファは硬かった。
長い時間、天井を見るともなく見て、保険外交員が言ったことをジェイは
全身防寒着を着こみ、安全靴を履いた、きれいな金髪の中年――ジェイはその姿を、ありありとイメージすることができた。その人物が動き、喋る姿まで想像できる。
驚いた表情を浮かべて、防寒着の男を家の中に招き入れるケーの姿も、昔観たことがある映画のワンシーンのように、鮮明に思い浮かべることができた。
ジェイがソファの上でその動きを静止させて考えこんでいる間に、アイは静かに家に帰ってきた。ジェイはそれに気が付かなかった。
「いったいどうしたの?」ソファの上で寝転び、微動だにしないジェイにアイは訊いた。「ひどい顔してるわよ」
アイの呼びかけに応じるように、ジェイは身を起こす。ジェイの唇は乾いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます