第9節 盛り場③
使いこまれた木製の両開きの扉を開くと、黒いスーツに身を包んだボーイがコウモリのようにやってきた。はじめてこの店にきたときのようだと、ジェイは思った。
「ティーさんをお願いしたいのですが」
「残念ながら、ティーさんは辞めました」
「辞めた?」ジェイは訊いた。「ティーが?」
「はい。今日、突然」
予期せぬことにジェイはその場に茫然と立ち尽くした。店内は賑やかで騒々しかったが、どんな音も耳に入らなかった。
ボーイに促されるままに、ボックス席に通され、ティーではない別の女がジェイの席についた。
ウイスキーの水割りを何杯飲んでも、酔いは回らなかった。ゴーゴータイムの間も席から動かず、遠くを眺めてジェイは放心状態だった。
席に着いた女は終始、なにかをまくしたてるように喋っていた。ほとんどの話をジェイは聞き流して過ごした。
そのとき、グレーのオーバーコート姿の女が店内を歩いてゆくのを、ジェイは視界の端で認めた。
ティーだった。
ジェイは立ち上がり、ティーにむかって進んだ。ティーもジェイに気がつき、微笑んだ。
「無事だったんだね」
「ああ。きみに会いにきたんだ」
※ ※ ※
会計を済ませてキャバレーを出ると、ジェイとティーは、
「荷物を取りにきたの」ティーはウイスキーのオン・ザ・ロックスに口をつけながら言った。
「ずいぶんと急だったんだな」
ティーはそれには答えなかった。
「これを返すよ」ジェイはタクティカル・ペンをバー・カウンターに置いた。「ずいぶんと助けられたよ、これには。マフィアのアジトから逃げ出すのに」
「持って行って」ティーは首を横に振った。「これからも危険なことをするんでしょ? あなたは」
「そうかもしれない」
「ねえ、ほんとうはあなた、なにかしらの目的があって、盛り場にきたんじゃないの?」ティーは見透かすように言った。「あたし、勘が鋭いの」
「きみに会いにきたんだ」
「そればっかり」
「ほんとうだ」ジェイはウイスキーのストレートを舐めた。「僕は、かまいたちを追ってここまできた。かまいたちがあった現場で、きみによく似た人物が目撃されていたんだ」
ティーは瞬きもせずに、ジェイの話を聞いた。
「でもそれはどうやら、きみではなかったみたいだ」
「少し前にも、おんなじような人がきたわ。新聞社の記者」
「新聞社の?」ジェイは眉をあげた。
「ええ。癖っ毛で、髭面の」
その話を聞いて、ジェイは変電所に訪れたという、新聞社の記者のことを思い出した。彼もまた、かまいたちを追ってここまできたのだろうと思った。
「実は、あたしの父親が、かまいたちに殺されたんだ」ティーは出し抜けに言った。
「かまいたちに? それはいつの話?」ジェイは目を見開いた。
「四年前」
ジェイは気がついた。鉄塔でかまいたちがあった時期と一致することに。
「ひょっとして鉄塔で殺されたのが、きみのお父さんなのか?」
「ええ、そうよ。あたしの父は、鉄塔で、かまいたちに殺された」事実だけを取り出したような声でティーは言った。「盛り場で働くあたしを心配して店まで来てくれたこともある、優しい父親だった」
重たい沈黙が降りた。
「きみには感謝している」短く息を吐いてからジェイは言った。「助かったのは、ほとんどきみのおかげといっても過言ではない」
「あなたとはまた会えそうな気がするわ。あたしに恩がある人とは、何度でも会うことになるのが、あたしの人生なの」そこまで言うとティーはスツールから立ち上がった。「もう行かなくちゃ。さようなら」
去り行くティーをジェイは眺めた。ターコイズブルーのドレスを着ていない彼女は、ずいぶんと小柄に見えた。
ティーは開店扉を押してバーから出ていった。引きかえに、店内に冷気が入りこんだ。
※ ※ ※
「ティーは、かまいたちではないようだった」ジェイは列車に揺られながら言った。「目撃情報があった日は、キャバレーで働いていた。裏もとったから間違いない」
「あら、そうだったの。ターコイズブルーのドレスなんて、あの人しか着なさそうなものだけど」そっけなくアイは言った。
「ただ、鉄塔でかまいたちに殺された男はティーの父親らしい」
「どういうこと?」
「ティーはあの鉄塔のそばで生活していたんだ」
「あの人が生活していた場所で、父親が殺されて、あの人によく似た人物が目撃されたってこと?」
「そうなるな」
「わかるようでわからなくて、なんだか気味が悪いわね」
ジェイは頷く。
「追えば追うほど、よくわからなくなるわね、かまいたち」
「いまのところ、不可解な情報しかないけど、それでも一歩一歩、着実に近づいていると思う」こめかみをさすりながらジェイは言った。
「ほんとうにそうかしら?」アイは自嘲気味に笑う。
「まったく情報が出てこないわけじゃないんだ。実態がないわけでもない。もっと情報を集めて、状況を整理できれば、かまいたちの正体に辿りつけるさ。ピースが収まるべきところに収まって、巨大なパズルが完成するように」
「そう願いたいわね」
「街に帰ったら、まずは自動車工場に行ってくるよ。ケーを殺したかまいたちについて、手掛かりになりそうな人を見つけたと、工場の人が言っていたんだ」
「それがおわったら、ジーから紹介してもらった、情報屋からと話を聞かなくちゃね」
ジェイは窓の外を眺めた。まばらな街灯が弱々しい川のように流れてゆく。
冷気が窓から伝わり、思わず身震いをした。隣に座るアイが、見かねてブランケットをジェイにかける。二人は寄りそうようにして、一枚のブランケットに包まれた。
こうして二人は六日もかけて、盛り場からエフの市街へと帰った。
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