第8節 ドン殺し

 バンはジーの後輩が運転した。バンには合計で四人が乗りこみ、ジェイは助手席に座っていた。


 道中は沈黙が続いた。ジェイは助手席の窓の外を見るともなく見た。息絶えたように静まりかえった、早朝のさかり場の風景が通り過ぎていく。


 ジェイはダッフルコートのポケットに両手を突っ込み、軍用の懐中電灯と、ティーからもらったタクティカル・ペンを握りしめた。


 バンは隣町に入り、すぐ目的の家に到着した。その家は人通りが少ない閑静な住宅街の端に位置していた。


 家には立派な両開きの門があり、大人の背丈くらいの白い塀がぐるりと四方を囲っている。大きな平屋で、この時代にしては珍しく、つい数年前に建てられた家だった。


 バンはドンの愛人宅を通り過ぎ、しばらく走ってから停車した。後部座席に座るジーの後輩二人は、かじりつくように後方にある家の門を見た。


 張り詰めた空気をジェイは感じていた。しばらく待機すると、後部座席の後輩がドンがきたことを知らせた。


 ジェイはサイドミラーに目をやった。ドンはバンにむかって歩いていた。


「左右、どっちを通り抜けるか教えてほしい」後部座席に移動しながら、ジェイは言った。


 ジーの後輩はしばらく沈黙してから言った。「右」


 ジェイは後方にむかって右側のドアに寄り、スモークが張られた窓から外をのぞいた。


 ウールのチェスターコートを羽織ったドンが、ポケットに両手を突っこんで歩いてくるのが見えた。白いシャツにグレーのネクタイを結び、黒い革靴が鋭く光る。


 ジェイは息を殺してそのときを待った。


 ドンがすぐ目の前に達した瞬間、バンのスライドドアを勢いよく開き、ジェイは飛び出した。


 ドンが身を硬くして振り返った刹那、脳天をめがけて軍用の懐中電灯を振り下ろした。鈍い音が響き、ドンはその場で、たたらを踏んだ。


 すかさずにジェイは背後に回り込み、ドンの背中に前蹴りを放つ。はじかれたようにドンは前方に飛び、目の前にあったバンの後部座席のドアにしがみつく。ジェイはもう一度前蹴りを放ち、ドンをバンの後部座席に押しこんだ。


 それからもう一発、側頭部にアルミ合金の塊である懐中電灯を振りぬいてから、後ろ手でバンのドアを閉めた。


 ドンは後部座席に倒れこみ、それを合図にジーの後輩が腕と足を縄で縛りあげ、口に布をかませて首の後ろで結んだ。


 すべてが済んだのを確認してから、運転席に座る後輩はバンを発進させた。


 ドンはなにか言いたげにジェイを見たが、身体を起こして、真っすぐ前を見て後部座席に座った。バンが道路を滑る音だけが車内にこだました。


    ※  ※  ※


 バンが川辺のお仕置き部屋に戻ると、そこにはすでにジーがいて、アイもいた。ジェイは後部座席から飛び降りると、アイに駆け寄った。


「だいじょうぶだったか?」ジェイは訊いた。


「おかげさまで」アイは言った。「ごめんね、ありがとう」


 ジェイは頷いた。「無事でよかった」


 バンから引きずり降ろされたドンは、建物の柱に縛りつけられ、錆びたパイプ椅子に座らされた。


「よくやってくれたな」ジーは満足そうに口角を上げた。


「こちらこそ」ジェイは頭を下げた。「ほんとうに助かりました」


 ドンは暗い目でジェイを見た。視線に気がついたジェイもドンを見る。


「そんな目で見るなよ」ジェイは感慨もなく言った。「とくに言うことがないんだ。おまえには、なにも」


「また明日、連絡するよ」ジーは右手をかざしてジェイに言った。


 ジェイは頷き、アイと二人で踵を返して、お仕置き部屋の外に出た。


 外はすっかりと明るくなっていて、一日の始まりにふさわしい、新鮮な空気が満ちていた。ジェイは息を深く吸いこみ、それからゆっくりと吐き出した。


 ほとんど同時に、乾いた銃声が空気を震わせた。


    ※  ※  ※


 翌日の夕方、盛り場の食堂で三人は落ち合った。


「かまいたちを追ってるんだって?」ジーはバジルのペンネをフォークで突き刺しながら言った。「アイから聞いたよ」


 ジェイは無言で頷く。


「おまえたちに紹介したい情報屋がいる」ジーはワインをがぶりと飲んで言った。「かまいたちを追っている、弟を紹介したい」


「ほんとうに? それはありがたいわ」アイはそこまで言ってから首を傾げた。「でも、なんでまた、かまいたちを?」


「俺には妹もいたんだが、かまいたちに殺されたんだ。もう、ずいぶんと前のことになるが」


「それで弟さんは、かまいたちを追っているのね」


 ジェイは唇を噛み、眉間に皺を寄せた。


「だから、アイからそのことを聞いて驚いた。おまえの気持ちはよくわかるよ」


 ジェイは頭を下げた。「なにからなにまで、ほんとうに助かります」


「こっちこそ、行幸ぎょうこうだったぜ。いつか、マフィアのトップは殺してやるつもりだったが、なかなかその機会が掴めなかったんだ」


「ティーに感謝ですね」ジェイはワインを一口飲み下した。


「いま弟の連絡先を送った。名前はエイチだ」ジーはスマートデバイスを操作しながら言った。「必要であれば、好きなタイミングで連絡してくれ。おまえから連絡が入るかもしれないことは伝えておくから」


「わかりました。エフに戻ってひと段落したら、連絡することになると思います」


 ジーはアイを見つめてワインを飲んだ。


「なにかしら?」アイもワインを一口飲んでから訊いた。


「妹の名前も、アイって言ったんだ」


「あら、そうなの」


「あいつが生きていたら、いまちょうど、アイくらいの年なのかなって思って」


「あなたはジェイと同い年でしょ?」


 ジーは頷く。


「じゃあ、私はあなたと同い年よ。残念ながら」アイはそう言うと、得意げに笑った。

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