第5節 新聞社

 図書館を出たジェイは停めていた車を取りに行き、新聞社――エム・タイムズにむかった。


 通りを走る車はまばらで、どの車も緩慢な運転だった。電球に群がる、無軌道な羽虫のように。


 通りを十分くらい走ると、左手に裁判所――ジェイが生まれてから法廷が開かれたことはただの一度もない、ほとんど廃墟同然の建物が近づいてきた。黄色味を帯びた外壁はくすんでいて、ところどころクラックが入り、崩れかけている。


 裁判所を通りすぎると、その奥にエム・タイムズ社のビルが見えてきた。


 その社屋は、巨大な段ボール箱をいくつか積み重ねたような外観をしていて、エントランスの上に、黒い地球儀を模したオブジェが取り付けられている。


 車を社屋の前に停めて、ジェイはエントランスをくぐった。建物に入ってすぐ左手にある、無人の受付カウンターに一直線にむかう。ジェイ以外の人影はロビーに見当たらなかった。


 カウンターの上に置かれた固定電話機の受話器を持ちあげて、受付と書かれたボタンをジェイは押した。耳の中を軽くひっかくような、呼び出し音がひとしきり鳴った。


 前触れもなく電話が繋がった。「はい、エム・タイムズ」


「仕事中恐れ入ります。かまいたちのことでお伝えしたいことがあり、伺いました、ジェイと申します。記者のクレメンザさんはいらっしゃいますでしょうか?」


「おい、クレメンザはいるか?」受話口の男が声を張りあげて、執務スペース内に確認する声が漏れ聞こえる。「あいにく不在のようです」


「そうですか。急ぎお伝えしたいことがあるのですが、戻りは何時頃になりそうですか?」


「それはなんとも言い難いですね」男は即答した。「もし戻ってくるのであれば、あと一時間くらいで戻ると思いますが」


「わかりました。ロビーで待たせてもらいます」ジェイは言った。「もしクレメンザさんが戻ってきたら、先日あった、かまいたちの目撃情報を伝えにきた者が待っていると、お伝えください」


 受話器を置くと、ジェイはロビーのすみに置かれたソファに腰をかけた。ソファのスプリングは弱っていて、身体が吸収されたように大きく沈んだ。


 ジェイはあたりを見渡した。高い天井、灰色の壁。ロビーにはほとんど空調が効いていないようで、ずいぶんと寒かった。


 軍払い下げのダッフルコートのトグルを閉めて、両手をポケットに突っこみ、ジェイは身を硬くして待った。


    ※  ※  ※


 一時間半ほど時間が経過して、日を改めようとジェイが思ったそのとき、ロビーに足音が響いた。


「まだ帰ってなかったんですね」


 その声の主――クレメンザをジェイは見た。くたびれた背広姿の男が、こちらにむかって歩いている。


 ジェイはクレメンザを眺めた。顔つきからして年下に見え、ジェイは虚をつかれた思いがした。


 クレメンザは黒髪の癖毛に無精ひげを生やしていた。第一ボタンを開けた白いワイシャツには無造作な皺が入り、ひょろりと細いブラウンのネクタイが緩く結ばれている。生活のほとんどすべてを、取材に捧げているといった風貌だった。


「ここで話すのもあれなんで、場所を移りましょうか」クレメンザはぼそぼそと言った。


 クレメンザのうしろをジェイは歩いた。彼の足取りは重々しく、その身体は徒労感の沼にひたっているような印象を受けた。


 ロビーの奥にあるエレベーターに乗りこみ、二人は四階で降りた。それから薄暗い廊下を進み、クレメンザは灰色の無機質なドアを開いて、中に入るようジェイに促した。


 暗い部屋に入ると、クレメンザは壁際のスイッチを操作して照明をつけた。その白い光は弱々しく、狭い会議室の隅には暗闇がひとさじ残された。


 クレメンザは無言でオフィスチェアを手で指し、ジェイに座るように示した。ジェイは軋んだ音が鳴るオフィスチェアを引いて座り、クレメンザもそれに続いた。


「この前あった、かまいたちについての目撃情報ですか?」クレメンザは静かに訊いた。


 ジェイは頷いた。「殺されたのは、僕の弟なんだ」


「ああ……、あなたがお兄さんでしたか」クレメンザは眠たげな眼で言った。「実は近々、あなたに話を聞きに行こうとしてたところなんですよ」


 ジェイはクレメンザに、保険外交員から聞いた目撃情報――全身防寒具に身を包んだ、金髪の中年が家に入っていったことを伝えた。弟のケーが自ら家の扉を開き、その男を家に招き入れたことも。


「その証言は、私も得ていました」クレメンザは冷ややかに言った。「それで、次はあなたのところに伺おうと思っていたのです。単刀直入に訊きます。その中年の男に、あなたは心当たりがありますか?」


 ジェイは小さく頷いた。「僕の父親かもしれない」


「やはり」クレメンザは唇に指をあてる。「集めた情報からしてそうだと思い、あなたの父親のことも調べあげました。ずいぶん前に家を出て、それから一度もエフの市街には戻っていない」


「ええ」


「家を出てからの足取りも、できる限り追いました。どうやらあなたの父親は家を出て、東の果ての港町で生活していたようです。ここ数年の動向はまだ掴めていませんが」


 ジェイは腕を組み、斜め下を見て考えこむ。


「港町まで、たしかめに行きますか?」


「そのつもりだ」


「よかったら、私も一緒について行ってもいいですか?」クレメンザは訊いた。「なにかの役に立つかもしれません」


 ジェイは少し考えてから答えた。「構いませんよ」


 クレメンザは腕時計に目をやった。「そろそろ執務スペース以外の電源が落とされる時間です。もう少し話がしたいので、ここを出ましょう」


 ジェイもクレメンザに訊かなければならないことがあった。二人は立ち上がり、照明を消して会議室を出た。


「ここからすぐのところに、落ち着いて話ができる場所があるんです。そこに移りましょう」クレメンザは小さな声で言った。


 二人は暗い廊下を進んだ。ジェイのワークブーツが踏み鳴らす柔らかな足音と、クレメンザの革靴が響かせる硬質な足音以外、まったくの無音だった。

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