第6節 コンサートホール

 クレメンザが乗る黒いセダンを、ジェイは後ろから追った。車はまず北上し、それから時計回りに通りを進んだ。その途中で、崩れ落ちた教会が目に入った、


 ジェイは思う。ついこの間ここを通ったときには、あの緑の屋根の教会は、まだ倒壊していなかった。


 ときの流れに押し流されるようにして、もはや引き返すことができない終末に、世界が近づいているようにジェイは感じた。あるいはすでに、おわりのむこう側にいるのかもしれない。ひょっとして、かなり前から。


 クレメンザが乗る車はしばらく西に直進すると、今度は北に折れた。ひとしきり真っすぐ走ると、だだっ広い公園を通り抜けたあたりで北西に曲がった。


 いったいどこにむかっているのか、ジェイには見当もつかなかった。ずいぶんと遠回りしているように思えた。


 前を走るクレメンザの黒いセダンはすぐに右折し、さらにもう一度右折した。最終的に、通り抜けた公園の奥の敷地に入ってその動きを止めた


 ジェイは車から降りて、その敷地に建つ、アイボリーの大きな建物を見上げた。ジェイが立ち寄ったことはなく、また、気にも留めたことがない建物だった。そこがどんな場所なのか、想像もつかなかった。


「ここは廃墟です」クレメンザはジェイに近づきながら言った。「中に入りましょう」


 三角屋根を支える太い円柱えんちゅうの間を通り抜けて、二人は建物の中に入った。建物の中は薄暗く、クレメンザはスマートデバイスを取り出して、ライトをつけてあたりを照らした。ジェイもそれにならった。


「迂回するように遠回りして、ここまできたな」ジェイは歩きながら言った。


「大昔のルールにそって道を走りました」


 ジェイは首をひねる。「どういうことだ?」


「戦争の前は、ああいう風にぐるりと回る必要があったんですよ」クレメンザは前をむいたまま、つぶやくように言った。「まだ交通量が多く、人がいたころの話です」


 天井が高い建物だった。点々と乳白色の円柱が天井を支え、室内にもかかわらず控えめな噴水があり、そこにはすすけた――大昔は白かったのであろう――、崩れかけた女の石像が立っていた。一人、その場に取り残されたように。


 ゆっくりと歩くクレメンザにジェイは続いた。二人は無言だった。古めかしい階段をのぼり、長い廊下を歩き、重厚な両開きの扉を開いた。


 二階から見下ろすその空間は広く、あたり一面に正面をむいた椅子が取り付けられている。椅子がむく視線の先には、ステージが備え付けられていた。


 クレメンザはすぐ目の椅子に腰をかけた。椅子はふちが白く、座面と背もたれは濃紺だった。ジェイはひと席あけて、クレメンザの隣に座った。


「なんなんだ? この建物は」ジェイはあたりを見まわして言った。


「コンサートホールです」


「コンサートホール?」


「かつてここでは、主に音楽というものが演奏され、人々はそれを聴きました」


 ジェイは横目でクレメンザを見た。「音楽とは?」


「音による芸術です。メロディー、ハーモニー、そしてリズムから構成されるものです」


「言っている意味がわからないな」ジェイは怪訝そうに言う。「わかった言葉は、音とリズムだけだ」


「大昔の人はそういうものを楽しみ、味わい、愛でたと言われています」


 クレメンザが言うことも、伝えようとしていることも、そのほとんどをジェイは理解できなかった。クレメンザはそれに気づきながら――あるいは最初からわかりきっていたことだという態度で、静かに話を続けた。


「このコンサートホールは、戦争の最中さなかに建造されたと言われています。もっとも戦争と言っても、気が遠くなるほど、はるか昔の話です。第二次世界大戦と呼ばれていたころの話――」


 そこまで言うとクレメンザは俯き、深く息を吐き出した。一呼吸おいてから、再び口を開いた。


「戦火の中であって閉鎖されることなく、コンサートは行われたようです。それがいまでは長い歳月が流れて、人々から音楽は忘れ去られてしまった。戦争がおわったというのに、もはやここでコンサートが行われることはない。皮肉なものです」


 クレメンザはジェイと会ってから、はじめて薄く笑った。いや、彼は笑ったのだと、ジェイは思った。二人にしばし沈黙が降りた。


「あなたが書いた、かまいたちの記事のほとんどすべてを読んだ」ジェイは沈黙を破った。「いまから約、五十年前に遡って。なのに、あなたはどう見ても二十代そこそこだ。そんなに年がいっていない。どういうことだ?」


「簡単なことです」クレメンザは足を組みながら言った。「それらの記事は私が書いたものではないのです」


「なんだって?」


「私の家では先祖代々、クレメンザという名前を使っています。そしてその誰もが、エム・タイムズ社で新聞記者となり、かまいたちの事件を記録しています。そういうシステムなのです」クレメンザはジェイの目を覗きこんで言った。「つまりあなたが読んだ記事は、別のクレメンザが書いたものです。私はついこの間、記者になったばかりなのですから」


「なるほど」ジェイは顎に手をあてる。「それで最近あらためて、かまいたちがあった場所を回ってたのか?」


 クレメンザは頷いた。「そうです。あらためて自分の目で見てみようと思いまして」


 そのとき、クレメンザのスマートデバイスが着信音を鳴らした。広いコンサートホールで、その音は不吉に反響した。


 クレメンザは電話に出た。ぼそぼそと何度か相槌を打ち、手短に電話を切った。握りしめたスマートデバイスだらりとろして、ジェイを見た。


「かまいたちが起こったそうです」クレメンザは平板な声で言った。「現場はすぐそこです。行きましょう」

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