第6節 コンサートホール①
クレメンザが乗る黒いセダンを、ジェイは後ろから追った。車はまず北上し、それから時計回りに通りを進んだ。その途中で、崩れ落ちた教会が目に入った、
ジェイは思う。ついこの間ここを通ったときには、あの緑の屋根の教会は、まだ倒壊していなかった。
ときの流れに押し流されるようにして、もはや引き返すことができない終末に、世界が近づいているようにジェイは感じた。あるいはすでに、おわりのむこう側にいるのかもしれない。ひょっとして、かなり前から。
クレメンザが乗る車はしばらく西に直進すると、今度は北に折れた。ひとしきり真っすぐ走ると、だだっ広い公園を通り抜けたあたりで北西に曲がった。
いったいどこにむかっているのか、ジェイには見当もつかなかった。ずいぶんと遠回りしているように思えた。
前を走るクレメンザの黒いセダンはすぐに右折し、さらにもう一度右折した。最終的に、通り抜けた公園の奥の敷地に入ってその動きを止めた
ジェイは車から降りて、その敷地に建つ、アイボリーの大きな建物を見上げた。ジェイが立ち寄ったことはなく、また、気にも留めたことがない建物だった。そこがどんな場所なのか、想像もつかなかった。
「ここは廃墟です」クレメンザはジェイに近づきながら言った。「中に入りましょう」
三角屋根を支える太い
「迂回するように遠回りして、ここまできたな」ジェイは歩きながら言った。
「大昔のルールにそって道を走りました」
ジェイは首をひねる。「どういうことだ?」
「戦争の前は、ああいう風にぐるりと回る必要があったんですよ」クレメンザは前をむいたまま、つぶやくように言った。「まだ交通量が多く、人がいたころの話です」
天井が高い建物だった。点々と乳白色の円柱が天井を支え、室内にもかかわらず控えめな噴水があり、そこには
ゆっくりと歩くクレメンザにジェイは続いた。二人は無言だった。古めかしい階段をのぼり、長い廊下を歩き、重厚な両開きの扉を開いた。
二階から見下ろすその空間は広く、あたり一面に正面をむいた椅子が取り付けられている。椅子がむく視線の先には、ステージが備え付けられていた。
クレメンザはすぐ目の椅子に腰をかけた。椅子は
「なんなんだ? この建物は」ジェイはあたりを見まわして言った。
「コンサートホールです」
「コンサートホール?」
「かつてここでは、主に音楽というものが演奏され、人々はそれを聴きました」
ジェイは横目でクレメンザを見た。「音楽とは?」
「音による芸術です。メロディー、ハーモニー、そしてリズムから構成されるものです」
「言っている意味がわからないな」ジェイは怪訝そうに言う。「わかった言葉は、音とリズムだけだ」
「大昔の人はそういうものを楽しみ、味わい、愛でたと言われています」
クレメンザが言うことも、伝えようとしていることも、そのほとんどをジェイは理解できなかった。クレメンザはそれに気づきながら――あるいは最初からわかりきっていたことだという態度で、静かに話を続けた。
「このコンサートホールは、戦争の
そこまで言うとクレメンザは俯き、深く息を吐き出した。一呼吸おいてから、再び口を開いた。
「戦火の中であって閉鎖されることなく、コンサートは行われたようです。それがいまでは長い歳月が流れて、人々から音楽は忘れ去られてしまった。戦争がおわったというのに、もはやここでコンサートが行われることはない。皮肉なものです」
クレメンザはジェイと会ってから、はじめて薄く笑った。いや、彼は笑ったのだと、ジェイは思った。二人にしばし沈黙が降りた。
「あなたが書いた、かまいたちの記事のほとんどすべてを読んだ」ジェイは沈黙を破った。「いまから約、五十年前に遡って。なのに、あなたはどう見ても二十代そこそこだ。そんなに年がいっていない。どういうことだ?」
「簡単なことです」クレメンザは足を組みながら言った。「大半の記事は私が書いたものではないのです」
「なんだって?」
「私の家では先祖代々、クレメンザという名前を使っています。そしてその誰もが、エム・タイムズ社で新聞記者となり、かまいたちの事件を記録しています。そういうシステムなのです」クレメンザはジェイの目を覗きこんで言った。「つまりあなたが読んだ記事は、別のクレメンザが書いたものがほとんどなのです。私はここ数年で記者になったのですから」
「なるほど」ジェイは顎に手をあてる。「じゃあどうして最近、かまいたちがあった場所をあらためて回ってたんだ?」
「気がかりなことがありまして」
そのとき、クレメンザのスマートデバイスが着信音を鳴らした。広いコンサートホールで、その音は不吉に反響した。
クレメンザは電話に出た。ぼそぼそと何度か相槌を打ち、手短に電話を切った。握りしめたスマートデバイスだらりと
「かまいたちが起こったそうです」クレメンザは平板な声で言った。「現場はすぐそこです。行きましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます