第7節 かまいたち②

「面白い車ですね」クレメンザはジェイの車を見て言った。「ニホン製の車ですか?」


「ああ」ジェイは頷く。「ニホンを知っている人に初めて会ったよ」


「過去のことは、次々と忘れ去られていきますからね。まるで、最初からなかったみたいに」クレメンザは無感動に言う。「行きましょう、スーパーマーケットに」


 かまいたちが起こったとクレメンザから聞いたときに、ジェイは二度驚いた。


 まずはその頻度。ケーがかまいたちに殺されてから、まだ一か月も経っていない。ジェイが知る限り、かまいたちがこんなに短期間で繰り返されたことは、これまでになかった。


 次に、かまいたちが起こった場所に驚いた。その場所は、アイと二人で最初に情報収集に訪れた、あのスーパーマーケットの文房具売り場だった。


 被害者は女の店員だとクレメンザは言った。かまいたちの話を訊いた、虚ろな目をした店員の姿をジェイは思い出した。彼女が殺されたのだという予感が身体を駆け抜けた。


    ※  ※  ※


 二人は車を飛ばし、転がりこむようにしてスーパーマーケットにたどり着いた。屋上の駐車場に車を停めて、薄暗く、かび臭い階段を下りる。ポリ塩化ビニルの床が、現実味のない足音を反響させた。


 がらんどうの二階のフロアを斜めに突っ切る。文房具屋に近づくにつれて、鉄の臭いが二人の鼻腔びこうを刺激した。


 レジカウンターの周りに、濃い血溜まりができていた。その周りを何人かの男――スーパーマーケットの職員が取り囲んでいる。


「かまいたちがあったと聞いてきました」クレメンザは職員に話しかけた。「エム・タイムズのクレメンザと言います」


 職員は振り返り、焦点の定まらない目つきでジェイとクレメンザを見た。


「被害者はどうなりましたか?」クレメンザは訊いた。


「先ほど診療所に運ばれていきましたよ。文房具屋のスタッフの車で」


「被害者はあの女性……おっとりとした方ですか?」ジェイは半歩前に出て訊いた。


「たぶんそうだと思いますよ」職員は頷いた。「文房具屋の女性スタッフは彼女だけですから」


「かまいたちを見た人はいますか?」


「いませんでした。彼女しか売り場……というか、二階にいなかったものでして」


「監視カメラの映像は?」


「残っていると思います」


「確認させてもらえますか?」クレメンザは静かに、強く言った。


 スーパーマーケットの職員は頷くと、ジェイとクレメンザをバックヤードに案内した。二人にほこりっぽいパイプ椅子を差し出して、機器を操作し、モニターに映像を映した。


 二人はモニターを食い入るように見つめた。ジェイとアイが話を訊いた、あの虚ろな目をした店員が映し出されている。


 彼女はなにをするでもなく、レジカウンターにじっと立っている。ほとんど身じろぎもせずに、どこか遠くの一点を見つめる、冷たい銅像のように。


 代り映えのしない映像がしばらく続いた。客は一人も訪れなかった。そこに、画面の右端から、黒いオーバーコートに身を包んだ、一人の老婆が映りこんだ。


「林檎園のお婆さんだ」ジェイは短く声をあげた。「ついさっき……昼すぎに街で会った――」


 林檎園の老婆は、丸まった背中でゆっくりと歩いた。レジカウンターに近づくと、虚ろな目をした店員に声をかけるそぶりを見せた。


 店員は驚いたように口元に手をあてると、カウンターを出て老婆に歩み寄った。


 次の瞬間、老婆は店員の胸を刃物らしきもので突き刺した。その動作は流れるように自然で、刃物をどこから取り出したのかはわからなかった。


 刃物を身体から引き抜くと、カウンターに押し当てるようにして二回、三回、四回――と、老婆は繰り返し店員を刺した。その動きは、背骨が曲がった、小柄な老婆とは思えない鋭さだった。


 ほどなくして、赤い池ができあがり、店員はその場にくずおれた。


 老婆は刃物を黒いオーバーコートの中にしまうような素振りをして、踵を返して歩きだした。


 ジェイが林檎園で話を訊いたときや、偶然に街で会ったときと何一つ変わらない、穏やかな顔を老婆はしていた。きたときと同じように、老婆は画面の右端から消えていった。


「ほかの監視カメラにも映っていないか、確認させてもらえますか?」クレメンザは職員に言った。


 職員は頷き、再び端末の操作に取りかかった。


「なあ、監視カメラに映ってた老婆にさっき、たまたま会ったんだ。図書館のそばで」ジェイは言った。


「わかりにくかったですが、あなたが言う通り、林檎園の老婆みたいでしたね」クレメンザは頷く。「私も話を訊いたことがあります」


「いま林檎園にいるか、確認してみようと思う」


 ジェイはスマートデバイスを取り出し、林檎園に電話をかけた。無機質な呼び出し音がひとしきり続いた。老婆は電話に出なかった。


 ジェイは考える。いますぐアイに林檎園にむかってもらうか? 駄目だ、危険だ。診療所に寄って被害者の様子を確認して、それから林檎園にむかう。


「僕はいまから診療所に行く」ジェイはクレメンザに言った。「そして林檎園にむかう。監視カメラの映像の確認は任せてもいいか?」


 クレメンザはジェイを見る。「たしかに時間が惜しいですね。ほかの監視カメラの映像は後程のちほど確認させてもらうとして、すぐに動いたほうが得策かもしれません。私も行きます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る