第7節 スカンク

 とあるマンションの一室でむきあったその男――アレクセイの眼光は鋭く、数えきれないほどの死線としかばねを超えていると言わんばかりの風貌だった。


 ジェイはアレクセイを観察した。短く刈り込まれた金髪、岩石のような額、豊かな眉、剃刀のような目、隆起した鷲鼻わしばな――頬に刻まれた一筋の傷跡。何歳くらいなのか、年齢が想像できなかった。


「なぜ我々の同志になりたいんだ?」厚い唇を素早く動かしてアレクセイは言った。


「こんなところで生きていたって、どうしようもないからですよ」ジェイは怒りを滲ませるように言った。「ろくな仕事もない、こんな薄汚れた街で。ねずみと一緒に朽ち果てるのを待つだけの人生に、いったいなんの意味があるっていうんですか」


 ジェイの光彩こうさいの深淵を注意深く覗きこむように、アレクセイは前かがみになり、腕を組んだ。


「あまつさえ、泥水をすするような僕たちの現実とは、無縁で豊かな世界があるときている。それが巧妙に隠されている。こんなんじゃ、なにがなんだか死ぬまでわかりません」


「どういう関係なんだ? 彼らとあんたは」アレクセイは四人――ジェイ、アイ、ティー、エルに一瞥をくれてから、横に立つケミドフを見た。


「取材対象です」ケミドフは柔らかな声で答えた。「反国家思想をもつ者も取材しているんです。防衛省の欺瞞ぎまんを暴くためには、反対側の情報も必要なのです」


 アレクセイは左目で、二回続けてまばたきをした。濃いコーヒー色をした、使いこまれた木製のデスクに、四人のID データ――ケミドフが手をまわして用意した情報――が映しだされた。


 四人のIDデータを舐めるようにアレクセイは凝視してから、目の前のソファに詰めて座る四人の顔を順番に眺めた。注意深く検品する機械工のように。


 水を吸った真綿のような沈黙がひとしきり続いた。時折、部屋の側面に並んだ何人かの武装構成員が身動きし、そのたびにコンバットブーツのソールが床を打つ音や、銃火器が鳴らす金属音が威圧的に響いた。


「いいだろう」閉廷へいていを告げる裁判官のようにアレクセイは言った。「こいつらを連れていけ」


 部屋の端に立っていた武装構成員の一人がソファの前まで進み、四人に立ち上がるように促した。


 四人が立ち上がると、アレクセイは言った。「俺たちは鼠じゃない」


 一礼し、四人が部屋を退出しようと動き出したとき、アレクセイは再び口を開いた。「動物園の動物たちは、なにがなんだか死ぬまでわからない。そう歌ったニホンのミュージシャンがいたらしい。はるか昔の時代に」


 ジェイは曖昧に頷き、武装構成員に連れられて部屋の外に出た。三人もそれに続いた。


    ※  ※  ※


 エーに第二層が存在することの証明、テロリストたちは目下、その達成を目指している。


 そのために彼らは、省庁に属する、あるいは関連する――つまり、国家運営の中枢近くにいる、権力者側の団体や個人に照準を絞り、破壊活動を展開していた。


 数年前から積極的に暴力を用いるようになった彼らは、手始めに内務省の有力議員を襲撃し、次に危機管理局事務所の棚という棚をひっくり返し、それから建設省と懇意にしている民間企業のオフィスを壊滅させ、おまけに産業省の会合参加者を皆殺しにし、そしてつい先日――四人とケミドフが出会った日に、労働省で昨今頭角を現したと評判の議員事務所を燃やした。


 権力者とおぼしき人物を数名、拉致監禁し、数日にわたって拷問したこともある。


 しかし彼らは、一本残らず歯を引き抜こうが、あらゆる爪をごうが、関節という関節を几帳面に折ろうが、眠る権利を剥奪しようが、腹を捌いて新鮮なはらわたをしようが、だれ一人としてエーの第二層について語ることなく、その身を冷たく硬くした。


 テロリストたちは悟りつつあった。権力者側の情報統制は極めて強固だと。


 生命の危機に瀕してもけっして口を割らず、彼らは死を選ぶ――すなわちこれは、国が公に否定している不都合な真実を漏らすことによって、死以上に耐え難い苦痛が自らにもたらされることの証左であるとテロリストたちは考えた。


 であるならば、それ以上の苦痛を与えることをもって、 事実を語らせるほかない。これがテロリストたちが導き出した、シンプルな結論だった。


    ※  ※  ※


 四人とケミドフが出会った地点から、五十キロほど西に位置する、忘れ去られた廃墟のような、コンクリート造のマンションの一室。二十名ほどのテロリストたちが集まり、次の作戦行動――防衛産業議長、ならびにその家族の拉致についてミーティングが行われた。


 その中には四人――ジェイ、アイ、ティー、エルの姿もあった。他のテロリスト同様、黒いアサルトスーツとパンツに身を包み、コンバットブーツを履いている。


 テロリストに合流してから四人は、銃火器やナイフの扱いをはじめ、様々な訓練をこなしてきた。


 もともとギャングで日常的な暴力に身を置いていたエルのみならず、ジェイ、アイ、ティーの三人も驚くべき学習速度で、テロリズムに必要なおおよそすべての素養を身に着けた。


 こうして、アイとティーは防衛産業議長の拉致に、ジェイとエルは議長家族の拉致にあたるチームにアサインされ、明朝から作戦行動が開始されることになった。


 もっともエーの第一層には太陽という概念は存在せず、したがって日の出という現象は生じない。


 第二層の存在を掴むこと――それこそがテロリストたちにとって、また、かまいたちを追う四人にとっても曙光しょこうであると、だれもが信じて疑わないのであった。

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