第6節 かまいたち⑤

 そびえ立つ岩壁のような沈黙にひとしきり沈んだあと、医者は静かに回転椅子から立ち上がった。


 勝手口にむかって無言で歩き、奇妙な足音――まるで未知の生物の鳴き声のような――を診察室に響かせた。


 戸口の前に立ち、医者は振り返った。「今日はもう診察の予定はないから、好きにここを使って構わない。オート・ロックをかけていく」


    ※  ※  ※


「なぜテロが日常茶飯事になっているのか、説明しましょう」やけに白い診療室で、ケミドフは言った。「エーはおそらく二層構造になっています。テロリストは二層――つまり深部への移住を目的に活動しているのです」


 ケミドフは語った。エーの二層は一層とは比べ物にならないほど清潔かつ、豊かであることを。一層と二層で生活する人間は固定化されていて、自由に行き来することはできず、情報も完全に遮断されていることを。


「支配層は二層で、被支配層は一層で生活していると考えられます。しかし、エーの構造が二層になっていることを、国は公式に否定しています」


「だが、一層の人々は二層の存在を知っているから、テロが起こるんだろう?」ジェイは訊いた。


「その通りです」ケミドフは頷いた。「そして、公の場で二層について発信すると、国家反逆罪に問われます。もちろんテロリストも」


「国にとってエーに存在するのは一層だけで、二層も地上のエフも、人々に知られると都合が悪い、ということなのか?」


「たしかなことはわかりませんが、そう解釈するのが自然でしょう」


 ジェイは顎に手をあてて言った。「一層の人々は、なぜ二層の存在に気がついたんだ?」


「それがわからないんです」ケミドフは首を横に振った。「大きな出来事があって、そう認識されたわけではないのです。いつのころからか、気がついたときにはその認識が人々に広がっていたのです」


「一層と二層を自由に行き来できる人間は本当にいないのか?」出し抜けにジェイは訊いた。「たとえばそういう奴がいて、なにかしらの目的があって、一層に二層の存在をほのめかす情報を流したとか」


「十分考えられます。あくまでもひとつの可能性でしかありませんが」ケミドフは感心したように深く頷いた。「実際にそういう人間がいるかはわかりません」


 ジェイは目を細めて思案した。しばらくの間、誰一人として口を開かなかった。物音一つせず、世界の時計が止まったようだった。


 あまりの静けさに耳鳴りの予感がして、気が遠のくのを感じてからジェイは言った。「エフとはまるで異なるエーの状況は興味深いが、かまいたちに迫ることが僕たちの目的だ」


 アイ、ティー、エルの三人は、噛みしめるように頷いた。


「かまいたちに関連する情報をもっていないか? ケミドフ」


 ケミドフはジェイの目を覗きこんだまま少し考え、おもむろに言った。「具体的な情報があるわけではありませんが――、エーの二層を目指すのがいいんじゃないでしょうか」


「それはなぜ?」


「かまいたちの特性――擬態能力のようなものがあると思われる、ほとんど骨だけの状態で活動できる――これらは、おそらくエフよりもはるかに進んでいるエーの科学技術でも、考え難いものです」


 四人は静かに話の続きを待った。ケミドフはやおら、話を続けた。


「ありえるとしたら、二層の科学技術が関連しているのではないかと思います。一層で生活する人間には想像できない、人知を超えたなにかがあるのかもしれない――」そこまで言うとケミドフは言葉を区切り、短く息を吸った。「かまいたちとエフの住人の一人が逃げこむようにしてエーにやってきたことから、彼らとエーが関係しているのは明らかでしょう。しかし一層で考えうる範囲において、エーとの関連性は見いだせません。二層との関係を疑うのが自然なことのように思います」


「どうやったら二層に行けるんだよ?」エルが言った。


「それはわかりません」ケミドフは首を何度か横に振った。「なにしろ、二層の存在は公に否定されているのです。ただ、可能性があるとすれば――テロリストたちでしょうか」


「テロリストは二層に行こうとしているんだもんね」アイは納得したように言った。


「でも、テロリストに仲間に入れてほしいって接触するの? それって危なくない?」アイは首をひねった。


「正面切って彼らに接触するのは、得策ではないでしょう」ケミドフはティーを肯定するように言った。「それに地上――エフの存在も、彼らに限らず明かさない方がいいと思います。なにに利用されるかわかったものではありません」


 もやがかかったような静寂が流れた。その間、ケミドフの瞳がせわしなく動いた。高速で演算を処理するコンピューターのCPUのように。


「提案があります」意を決したようにケミドフは言った。「まず、あなたたちの身分を用意します。地上からやってきたことがわからないように。そのうえで、ぼくからテロリストに紹介しましょう。取材で関係を築いているテロリストの構成員がいます」


「どうしてテロリストが取材対象なんだ? ケミドフは国防省の担当じゃなかったのか?」ジェイは首を傾げた。


「国防省はテロ対策に注力することを表明しているものの、それらしき動きはありません。その実態を探るために、テロリスト側からも取材をしていたのです」


「そこまでして、ケミドフにいったいどんな得があるんだ?」


「ひとつお願いがあります。首尾よくテロリストと合流できたら、できるだけその内情を教えていただきたいのです。二層に関する情報はとくに」

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