第6節 ギャングスター①

 薄暗い林を静かに通り抜けて、明け方の誰もいない公園の通りにジェイは出た。曇り空の切れ目から射しこむ、新鮮で弱々しい朝日であたりは照らされていた。


 道の端で寝ていたタクシーのドライバーを起こして、ジェイはさかり場の西に位置する隣町にむかった。


 隣町に着くと、別のタクシーに乗り換えてさらに北に位置する別の街にむかった。タクシーを追いかけてくる車は見当たらず、追跡の気配はなかった。


 北の街は、盛り場とは比較にならないほど廃れていた。からっ風が吹き抜け、枯れ果てた藁が転がってゆく。


 ジェイは街に一つしかないホテルの入り口をくぐった。ホテルはマフィアに呼び出された、あのうらびれたホテル以上に年季が入っていて、化石のようだった。


「今からチェックインしたい」ジェイはフロント・デスクの女に話しかけた。


 まだらに赤く、ひび割れた唇を女は開いた。「チェックインは十五時からです」


「わかってる」ジェイは眉を寄せた。「一泊分余分に支払う。もし、空いてる部屋があればすぐに案内してほしい。部屋の準備が多少おわってなくても構わない。なにしろ、すっかりくたくたなんだ」


 女は一度バックヤードに引っ込み、しばらく経ってからカウンター・デスクに戻り、ジェイに部屋の鍵を渡した。


 部屋は五階だった。ジェイは部屋の窓から外の風景を見るともなく見た。


 窓から見える景色の具合は、マフィアのホテルから見えた光景によく似ていて、ジェイはどことなく惨めな気分になった。


 時刻はまだ七時前だった。ジェイは服を脱ぎ、シャワーを浴びた。お湯の温度は不安定で、ぬるかった。備え付けの粗悪なシャンプー、リンス、ボディソープを使って身体を清潔にした。


 シャワーを終えると、端がほつれたバスタオルで身体をふき、吐息のように控えめなドライヤーで、柔らかい髪の毛を乾かした。


 それからジェイは裸のままでベッドにもぐりこみ、アラームをセットしてから目を閉じた。眠りはすぐにやってきた。


    ※  ※  ※


 ずいぶん前からアラームが鳴り続けていた。ジェイにはその感覚があった。


 重たい瞼をこすり、ジェイは身体を起こして緩慢な動作でアラームを止めた。時刻は九時過ぎだった。


 顔を洗い、寝ぐせを整え、歯を磨いてから、ジェイはスマートデバイスを手に取った。軽く首を回してから、ティーから教えてもらった、ギャングのジーに電話をかけた。


 電話はすぐに繋がった。「もしもし」


「突然すみません、キャバレーのティーから連絡先を聞き、電話しました。ジェイと申します。ジーさんでしょうか?」


「ああ」ジーの声は抑揚がなく、低かった。


「不躾ですが、ご相談があります。売春ビジネスに手を出しているマフィアの情報を提供します。その代わりといってはなんですが、マフィアに身柄を抑えられている知人を救出するのに、力を貸していただけませんでしょうか?」


「どんな情報を提供してくれるんだ?」


「売春ビジネスの拠点と、建物の大まかな造り、詰めている人数など」ジェイは指を折るように言った。「あとは、売春ビジネスのシェア奪還にむけた今後の計画と、そのキーマンについての情報を提供できます」


「なるほど」ジーは一呼吸置いた。「いいだろう、会って話を聞いてやる」


 ジーと盛り場の隣町の食堂で会う約束を交わし、ジェイは電話を切った。


    ※  ※  ※


 食堂の内壁は清潔な白い漆喰しっくいで塗られていて、ひやりとしていた。


 店内の什器じゅうきも白で統一されていて、この時代には珍しく、整然とした雰囲気だった。食堂に入ると、ジェイは個室に通された。


「予想とは顔つきが違うな」ジェイのむかいに座るジーは言った。「なかなかタフそうだ」


 ジェイはジーを眺めた。髪は金色の短髪で、両サイドは刈り込まれ、無造作に立ち上げられている。眉は太く、眉と目の間が狭い。鼻の下から顎にかけて、無精ひげが覆っている。


 ジェイとジーはほとんど正方形に近い個室で向き合った。個室の壁も白かった。


「珍しい造りの店だろ? ここは」ジーは食前酒を一口で飲み干してから言った。「戦争の前にあった、高級メゾンの店内を模しているらしいぜ」


 ジェイは頷く。「お時間をいただきましてありがとうございます」


「硬いな」ジーは不敵に笑う。「リラックスしろよ。俺と大体同い年だろ? いくつだ?」


「二十八歳です」


「なんだ、どんぴしゃ同い年じゃないか。たしかティーも同い年だよな」ジーは白いテーブルクロスの上に置かれたフォークを持ち上げた。「まあ、食いながら話をしようや」


 今日日きょうび、まずもってお目にかかることができない、フルコースが運ばれてきた。


 宝石のようなアミューズを二人は食べた。オードブルの冷たい前菜はアワビのテリーヌで、暖かい前菜が帆立貝ほたてがいのポワレだった。二人は白ワインを飲みながらこれらを口に運び、ぽつりぽつりと話をした。


「ティーとは偶然出会ったんだ。路上で声をかけて」ジーは言った。


「スカウトですか?」


「ああ、まさにな。当時俺はギャングに入りたての下っ端で、右も左もわかっちゃいなかった。初めて斡旋したのがティーなんだ。あれから十年、長い付き合いだな」


 豪勢な料理が続いた。スープはじゃがいものポタージュだった。香ばしいパンに、オリーブオイルとバルサミコ酢を混ぜたものをつけて、ジェイとジーは食べた。


 ポワソンは立派な海老のヴァプールで、ソルベにレモンのシャーベットをはさんでから、ヴィアンドの牛フィレ肉のロティへと進んだ。


 二人の食欲は旺盛で、マシンガンで掘っ建て小屋をなぎ倒すようにして、運ばれてくる料理を次々と平らげていった。


 カリフラワー、インゲン豆、ラディッシュのサラダを食べ終えて、フロマージュによりどりみどりのチーズが運ばれてきた。二人は赤ワインを飲みながら話した。


「奴らは排他的でな、なかなか情報が掴めないんだ」ジェイからマフィアの情報を聞いて、ジーは言った。「なんにしても、身柄を抑えられているアイを奪還しないと、マフィアの連中が売春ビジネスのシェアを拡大する懸念がありそうだな。別で恒久対応も必要として」


 ジェイは硬く頷いた。「力を貸していただけますでしょうか」


 ジーは無言でジェイの目を見る。「一つ条件がある」


「なんでしょう?」


「これを機に、マフィアのドンを暗殺したい」ジーは冷ややかに言った。「おまえにドンを殺せとは言わないが、そのつもりで問題ないか?」


「構いませんよ」ジェイは運ばれてきたコーヒーカップを持ち上げて言った。


 二人はデザートには手を付けなかった。

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