第3節 大聖堂①

「斬りごたえがあるものを、ずたずたに切り裂くのが、たまらなく好きなの、私」アイは鈍い音を鳴らすチェーンソーの刃先を、ジェイの眼前に突き出して言った。「知らなかった?」


 ジェイは半身に構えて、堅い表情でアイを睨みつける。胸を切り付けられたケーの亡骸なきがらと、あふれ出た鮮血が脳裏をかすめる。


「冗談よ。なんて顔してるのよ」アイは目を細めて笑いながら、チェーンソーのエンジンを停止させた。「ジェイに斬りかかる気なんてないわよ。もみの木をりにきただけよ」


 ジェイは深く息を吐きだす。息は白く、濃かった。


「なんだって、もみの木をりにきたんだ? チェーンソーまで担いで」


「あら、なに言ってるのよ」アイは笑いながら言う。「クリスマスじゃないの。ほんとうは昨日、伐りにきたかったんだけど」


 鳩が豆鉄砲をくらったように、ジェイは目をぱちくりとさせる。「なるほど」


「ジェイこそ、こんなところになにしにきたの?」アイは首をかしげる。「もみの木を伐りにきたわけじゃ、なさそうね」


 ジェイは頷く。「昨日、ケーが殺されたんだ」


 アイは動きを止める。「嘘でしょ」


「残念ながら、ほんとうだ」ジェイはアイの目を見据えて言った。「かまいたちだ」


「言葉が出てこないわ」アイは両手を口元にあてて言った。


 もみの木の森に重たい沈黙が降りた。ややあってから、樹木に積もった雪の塊が、地面に落ちた音が遠くかすかに響いた。


「昨日の午後、ケーは会社を休んでここにきてたみたいなんだ」ジェイはアイに近づきながら言った。「なにしにきたのか、わかったような気がするよ。ひょっとしたらケーも、もみの木を伐りにきたのかもしれないな」


 ジェイはアイと並んで歩き、森の奥へと進んだ。チェーンソーはジェイが持った。


「どれくらいぶりかしら?」アイはジェイの顔を覗きこむように言った。「ジェイと会うのは」


「どうだろうな。久しぶりな気もするし、数日ぶりのような気もする」ジェイは前をむいたまま言う。「最近、一日一日がとても早く感じるんだ」


「なんだか、おじいちゃんみたいねえ」アイは笑う。「ジェイと一緒にいたのは、ずいぶんと昔のことのように私は感じるわ」


 しばらく進むと、手ごろな大きさのもみの木が見つかった。


 木々の隙間から射しこむ弱々しい陽光に照らされて、そのもみの木は煌めいて見えた。照度が弱い、スポットライトに照らされているように。


 アイはチェーンソーを起動させ、ジェイがそれを受け取って、小さなもみの木を伐り倒した。チェーンソーの切れ味は鋭く、さほど時間がかからずに、もみの木はなぎ倒された。


「ありがとう」アイはチェーンソーを停止させながら言った。「これでいいクリスマスが過ごせそうだわ。もう今日も残りわずかだけど」


「今も妹さんと暮らしてるのか?」


「死んだわ」アイは写実的な声色こわいろで言った。「結局、妹は死んじゃったの」


「そうか」ジェイはうつむく。「言葉もない」


 伐り倒したもみの木をジェイが担ぎ上げて、チェーンソーを手に握ったそのときだった。アイが小走りで駆け出し、立ちすくむジェイを振り返ると、大きな声で言った。


「ねえ、これなんだろう」


 ジェイはおもむろにアイが立つ場所まで歩き、アイがし示す物体を一緒に見た。それは古びた煉瓦れんが造りの井戸のようだった。


「なんだろうな。ずいぶんと古い物みたいだけど」


「戦争の前からあるのかな?」アイは首をひねる。「ねえ、それよりこれって、人の死体なのかな……?」


 井戸のふちには、頭皮ごと抜け落ちた金色の髪の毛と、濁ったピンク色の肉片がいくつか落ちていた。


 ジェイは思う。おそらく人間の死肉で、まだそう日は経っていない。


「ここで人が死んだのかな。それほど時間が経っていないように見えるけど」


「気味が悪いわね……」アイは自分の身体に腕をまわす。「ねえ、このあと時間ある? もしよかったら、一緒に大聖堂に行かない?」


「大聖堂に? 時間はあるけど」


「日課なの」


    ※  ※  ※


 ジェイとアイはそれぞれの車まで戻ると、大聖堂にむかって、南の方面に車を走らせた。


 荒れ果てたエフは、相変わらず分厚い鼠色ねずみいろの雲に覆われていて、粉雪が舞っていた。


 崩落ほうらくしかけの立体交差点を抜けると、大聖堂が見えてきた。


 大聖堂の外壁はすすけた灰色で、いくつかの鐘楼しょうろうが天にそびえる。そのうち半数近くは途中で力尽きたように崩れていて、現存している鐘楼の先端には玉ねぎ型のドームがあった。


 二人は大聖堂の前に車を停めると、その中に入った。ホールを抜けて奥へと進む。大聖堂の中は張り詰めた冷気に満たされていた。


 気が遠くなるほど高い天井、かつての荘厳そうごんさを失い、錆びとほこりにまみれた金細工、壁に敷き詰められた、汚れてぼやけた大きな壁画。大聖堂には、二人のほかには誰もいなかった。


 アイは奥の主祭壇まで歩くと、おもむろにひざまずいた。アイの身体を覆う、深緑のケープが優しくはためく。胸の前で両手の指を交互に組んだ手を握りしめて、顎を引いて静止した。


 その姿を少し離れた後方から、ジェイは静かに見守った。


「祈ってるの」アイは立ち上がりながら言った。「妹が死んでから」


 ジェイは頷く。


「祈らないの?」アイは訊いた。「ケーのこと」


「いいんだ」ジェイは宙の一点を見るともなく見て言う。「祈るには、まだ早い」


 アイはゆっくりと頷くと、ジェイの近くまで歩いた。


「よかったらこれから、家にこない?」立ち上がったときに乱れた髪を手で整えながら、アイは言った。「クリスマスらしい食事とお酒があるわよ」

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