第2節 懐かしい食卓

 クレメンザが用意した所有権付きオーナーズホテルに戻ってきた四人は、一室に集まり、備え付けの丸テーブルを囲って座った。


「アレクセイは僕が殺した」ジェイは無表情に言った。「かまいたちに迫るにあたって、どうしても邪魔な存在だったからな」


 エルは不敵に笑った。「これでもう、レオニードと名乗らなくていいし、おまえのことをジダンと呼ぶ必要もないわけだ」


「そういうことだ」


「これからどうするの?」アイは不安そうに首を傾げた。


「ヴォドフライヴィチ――ヴォドに会いに行きましょう」クレメンザが言った。「ヴォドフライヴィチはエーの政府と深い関係にあり、かまいたちのすべてを知っています」


「ヴォドは政府関係者なの?」アイは尋ねた。


 クレメンザは頷いた。しなやかに歩く猫のように。


「おい、ヴォドってのはエフで診療所をやってたんだろ? ジェイやアイがガキのころから。なんでエーの関係者がエフで生活しているんだよ」エルは左目を細めて言った。「だいたい、おまえもなんでエフにいたんだ? エーの一層の新聞記者がよ」


「先ほどジェイさんには真相を語りましたが、私はエーの政府に属する人間です」クレメンザは低い声で言った。「エフの監視が任務でした」


「それが、政府を裏切って反旗を翻そうとしていると?」


「それはどうしてなの?」他意のない瞳でアイは訊いた。


「ヴォドフライヴィチに会いに行けば、わかります」


 クレメンザの話はそこで途切れた。バッテリーが切れ、動作を停止させた機械のように。


「ひとつ訊きたいんだが」ジェイが口を開いた。「僕らの前にケミドフが現れたのは偶然か?」


 クレメンザは首を横に振った。「ケミドフさんは私の協力者です。みなさんがエーの二層に到達するために、動いてもらいました」


「なるほど」ジェイは額に指をあてた。「つまり、いまのこの状況は君の狙い通りというわけだな」


「そうなります。みなさんは私の計画における鍵なのです」


    ※  ※  ※


 四人が集まった部屋に置かれた大きな冷蔵庫には、クレメンザが手配した食材と酒が、あふれんばかりに詰めこまれていた。


 アイは意気揚々と腕まくりをして、牛すね肉の塊を取り出して、塩をまぶして鍋で煮始めた。煮立った鍋を横目に、にんにくを潰し、たまねぎ、にんじん、キャベツをリズミカルにスライスし、フライパンにバターを溶かすと、それらを炒めた。バターの豊満な香りと、野菜を炒める賑やかな音が部屋に広がった。


「私が食事をつくるつもりだったのですが」どこか申し訳なさそうに、クレメンザは癖のある黒髪を伸ばした。


「いいから任せてよ。久しぶりに料理ができてうれしいのよ」アイは弾んだ声で言った。「こうして料理ができるなんて、エフを発った前の晩以来なんだから」


「そのとき、クレメンザと連絡がとれなくなったって話をしたな」ジェイはそう言い、グラスに注いだビールを一息に飲み干した。「なんであのとき、音信不通になったんだ?」


 クレメンザは舐めるようにビールを飲んでから言った。「急遽エーに戻る必要が生じたのです」


「あのときは、ティーがいた」備えつけの丸テーブルに肘をつき、顔を傾けてエルは言った。「その前はジーの兄貴もいた」


「あまりにも遠くに来てしまった」静かにジェイが言った。


 鍋に浮かんだ灰汁あくを取り除きながら、アイは別の鍋も火にかけて、さわら、たまねぎ、にんじん、じゃがいもを煮込んでスープ――ウハーをつくった。並行して、ラディッシュサラダをつくり、チキンカツレツをつくり、牛すね肉を煮こんだ鍋にビーツ、トマト缶、赤ワインビネガーと炒めた野菜を放りこみ、ボルシチを仕上げた。


 できあがった料理はあまりにも多く、備えつけの丸テーブルにそのすべて並べ切ることができなかった。追加でホテルから借りた折り畳み式のテーブルを二台も広げて、ようやく料理を並べることができた。


 もうもうと湯気が立ち昇る食卓を四人で囲み、誰ともなくそっとグラスを掲げ、無言で乾杯をした。今日という食卓に対しての儀礼的で、ある種、儀式のような乾杯だった。


 ジェイ、アイ、エルの食欲は旺盛で、勢いよくドミノが倒れるように、食卓にずらりと並べられた料理を次々に平らげていった。またそれを上回る勢いでビールを飲み、シャブリで喉を鳴らし、赤ワインのボトルも空け、ウイスキーの栓も開けた。クレメンザの食は細く、酒もほとんど飲まなかった。


「ヴォドの居場所に心当たりはあるのか?」ジェイはクレメンザに訊いた。


 クレメンザはボルシチを口に運んだスプーンを置き、テーブルナプキンで口を拭ってから言った。「はい。エーの二層のさらに下に、戦略研究所と呼ばれる施設があります。十中八九、そこにいるはずです」


「なぜそう言える?」ジェイは首を捻る。


「ヴォドフライヴィチは、軍事の中枢に深くかかわる人物だからです」クレメンザは再びスプーンを持ち上げた。「そして私の予想では、そこにみなさんがやって来ることを待ち望んでいるはずです」


「それはどうして?」


「そんな予感があるだけです」

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