第5節 かまいたち③

 その現場は異様だった。


「ひどいですね」クレメンザは表情一つ変えずに言った。


 かまいたちが起こった鉄塔のバラックに入ると、鉄の濃い匂いがジェイの鼻腔びこうを突いた。


 狭苦しく、乱雑な部屋に赤い池ができていた。そこに中年の女と、若い男の抜け殻が転がっている。


 その死体の首はほとんどちぎれかけ、数本の指がなくなっていた。おびただしいほどの穴が身体に開き、鮮血が漏れ出ていた。


「遺体の状態がひどい」ジェイは顔をしかめた。「それに、複数人が同時に殺されたのは、これが初めてだよな?」


「そうですね」クレメンザは部屋を見渡して言った。「どうやら、これまでとは少し話が異なるようです」


 殺された家族以外に、鉄塔のバラックに残っている唯一の中年――以前、ジェイとアイが、かまいたちの話を訊いた男はひどく怯え、瞳の焦点が定まらなかった。


「ありゃあ、人間の動きじゃねえよ」憔悴した顔で男は言った。


「現場を見たんですか?」ジェイは尋ねた。


「ああ……。悲鳴が聞こえて、家の外に出たら、窓から部屋の中が見えたんだよ」男は歯を鳴らしながら言った。「獣じみた動きで、人を滅多刺しにする、ターコイズブルーのドレスを着た女が……。ありゃ間違いなく、前にあった、かまいたちのときに鉄塔で見かけた女だぜ」


    ※  ※  ※


 ジェイは不良の森に車を飛ばした。


 その道中、ジェイはジーに電話をかけ、凄惨せいさんたる現場の様子を伝えた。


 ジーは冷たく言った。「いざというときは、殺してもいいんだろ?」


「構いません。ただ、かまいたちはひどく残虐ざんぎゃくなようです」ジェイは言った。「ギャングのみんなにも伝えてください」


 不良の森につくと、数名の見張りを立てたまま、ジェイ、クレメンザ、ジーの三人は、対応について打ち合わせた。


 鉄塔の方面に面する、南東を中心に厚く人を置き、交代で見張ることにした。


 不良の森の若者たちにも声をかけることにした。ジェイは彼らのバラックに入った。


 完成から間もない部屋に、彼らの重くい臭いがすでに染みついていた。夜更けにもかかわらず、ひどく騒がしかった。


「聞け」ジェイは戸を開け、短く強い声で言った。「かまいたち――イカれた殺人鬼がやってくるかもしれない」


「かまいたちなんて、聞いたことないやーい」男は床に寝転んだまま言った。


「話は、俺を、倒してからだ」別の男がジェイの前に歩み出て言った。


「俺たちの国を、守るんだぁーい」


「舐めた野郎に鉛を食わせてやるぜ」椅子に座った男は拳銃を構えた。


「お兄さん、遊んでいく?」


「知らないぞ、どうなっても」


 ジェイはそう言うと、踵を返して獣臭い部屋を後にした。


    ※  ※  ※


 時間だけが過ぎていった。濃い夜は薄墨うすずみのようににじみ、空が徐々に白んでいった。


 雲は厚かった。いつも通りの、濁ったエフの朝。どこにもたどり着かない、冷めたコーヒーのような朝。


 しかし、その空気は張り詰めていた。なにかが始まる気配を、ジェイは肌で感じた。


 バラックでコーヒーをれたそのとき、ジェイのスマートデバイスが震えた。


「お出ましだ」ジーの声は平板だった。


 ジェイはコーヒーをそのままにして、バラックを飛び出した。南東の方面に走り出して、すぐに立ち止まった。


 正面から、ターコイズブルーのドレスを着た、褐色の女――ティーがゆっくりと歩いてきた。


 ジェイはティーを見やった。


 ターコイズブルーのドレスはたっぷりと鮮血を吸いこみ、赤と青のまだら模様になっている。風が吹き抜け、ティーの豊かな黒髪が揺れた。右手に握られた刃物から、生々しい死の臭いがした。


「ティーなのか?」


 ジェイのすぐ目の前まで迫ったティーは歩みを止めて、ジェイを見た。その目はいかにも昆虫じみているとジェイは思った。


「ティーなのか?」そう繰り返しジェイは、自分の声ではないみたいだと感じた。


 ジェイは直感する。自分の声が届くことはない。目の前に立つティーとの隔たりを感じた。姿形は自分と同じ種類に見えるが、まるで異なる生き物に感じられた。


 前触れはなかった。ティーは刃物をジェイに突き立てた。俊敏で、最短距離を突く鋭角な動きだった。ジェイは咄嗟に身を捻り、紙一重でそれをかわした。


 ジェイは大きく後ろに飛び、ティーと距離をとる。ファティーグパンツのヒップポケットから軍用の懐中電灯を引き抜き、身構える。


 ティーは刃物を握りしめ、ジェイに突進して一瞬で距離をつめる。斜め後ろに身を引くジェイを追尾するように、鋭く斬りかかった。気がふれた剣闘士のように。


 軍用の懐中電灯でジェイは斬撃を受け止める。鈍い金属音が響きわたり、衝撃で踏ん張った足元の地面がえぐれる。


 ジェイはファティーグパンツの左ポケットから、タクティカル・ペンを抜き取り、逆手でティーの首筋を狙い、突く。


 ティーは首を捻り、顔色ひとつ変えずにそれを躱す。斬撃を受け止めた懐中電灯のグリップをうように、ティーは刃物をぐ。


 手首を回して、ジェイはそれをした。その反動でティーの脳天を目がけて、アルミニウム合金でできた懐中電灯を振り下ろす。


 横に飛んで、ティーはジェイの打撃を回避する。着地と同時に刃先をジェイにむけて、再びジェイに突撃する。ティーの動きは、一瞬で空を駆ける稲光のようにジェイには見えた。


 ティーの刺突しとつを避け、斬撃を受け止め、いなしたジェイが反撃を繰り出す。それをティーが躱すという展開が続いた。


 ティーの動きは烈火のごとく激しく、獲物を狩るひょうのように躍動的だった。無表情に、おまけに息ひとつ切らさずに、ティーはジェイを襲い続けた。


 次第にジェイの額に汗が浮かび、息が切れ、その動きが鈍くなっていった。やがて、ティーの刺突がジェイの左肩を捉え、刃物が深く突き刺さった。


 ティーは刃物を引き抜き、とどめを指すように斬撃を繰り出した。ジェイは勢いよく横に飛び、地面を転がり、かろうじてそれを避けた。


 距離ができた二人の視線が一瞬、交差した。


 心臓をじかに掴まれたように、死が自らに迫っていることを、ジェイは実感した。その手触りは冷たかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る