第9節 パシフィズム②
ジェイは回収した拳銃の
二人が進むフロアはひっそりと静まりかえり、直線的な廊下に人の気配はなかった。明け方の公園のように。
目的の扉はすぐに見つかった。その場所は拳銃を回収したトイレのほとんど対局に位置していて、多少の距離を歩いた。
足元は柔らかな絨毯に覆われており、ジェイとアレクセイが履く革靴の硬いヒールが鳴らす音は響くことなく、スポンジに水が染みこむようにして消えていった。人とすれ違うことはなく、人影もまったく見当たらなかった。
つるりとしたシルバーの壁面に取り付けられたリーダーに、ジェイはコンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスに表示させた
クレメンザから共有された情報どおり、執務室にはだれもいなかった。その狭い部屋をジェイは見渡した。冷ややかな銀色をした薄い天板のデスクが二列ならび、その上に下敷きのように薄いディスプレイが、
デスクの間を歩き、部屋の一番に奥に設置されたデスクトップデバイスをジェイは起動させた。コンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスにクレメンザが用意した虹彩データを表示し、認証システムを突破した。
そのまま手際よく、政府中枢のイントラネットにアクセスした。アクセス管理アプリケーションが立ち上がり、自動認証キーをスマートデバイスに通知した。ジェイのスマートデバイスが震え、認証処理を行うと、ファイル管理アプリケーションが立ち上がった。すべてはクレメンザが用意した手筈どおり、順調に進んだ。
脳波とリンクした理論キーボードを介して、ジェイはデスクトップデバイスに『ミミクリー』と入力し、検索をかけた。いくつかのファイルが表示され、あきらかにエフと関連がありそうなデータ――通称エフに関する経過報告――というファイルが目に入った。
そのとき、執務室の扉のロックが解除された気配が走り、扉が開いた。ジェイとアレクセイはデスクの下に伏せ、拳銃を握りしめた。デスクの下のわずかな隙間から、コンバットブーツを履いた数人の政府軍が前進してくるのが見えた。
ジェイの左耳に装着したワイヤレスイヤフォンから、クレメンザの声が聞こえた。「アレクセイさんを射殺してください」
ジェイはその声に耳をすませた。
「私はいま、ジェイさんだけに発信しています。アレクセイさんを射殺して、執務室から脱出してください。逃走ルートは指示します」クレメンザは珍しく早口でまくし立てた。「アレクセイさんがいては、真実を伝えることができないのです」
アレクセイはデスクの横から、迫りくる政府軍にむかって発砲した。政府軍も反対側のデスクに身を隠した気配が伝わった。
ジェイはアレクセイの首根っこを掴み、勢いよく立ち上がった。不意に立ち上がったジェイと、釣りあげられるように立ち上がらされたアレクセイを、政府軍は怪訝そうに見上げ、その動きを一瞬停止させた。
その隙を逃さずに、ジェイは銃口をアレクセイのこめかみに突きつけた。事態を理解できないアレクセイはジェイの目を見つめ、口を薄く開き、それから肘をジェイの頭部に振りぬくために身体を捻った。
しかし、ジェイが引き金を引く方が早かった。無感情な銃声が狭い部屋にこだまし、アレクセイは力なく崩れ落ちた。その身体をジェイは背負い、両脚で踏ん張り、政府軍にむかって放り投げた。
アレクセイの屈強な体躯が宙を舞い、数人の政府軍はそれを見上げた。その隙にジェイは入り口にむかって走り出し、気がついた政府軍がマシンガンを構えた瞬間、部屋を駆けぬけながらアレクセイにむかって数発発砲した。弾丸はすでにこと切れた身体の首と手足を貫き、その穴からは鮮血が噴き出て政府軍に降り注いだ。血液に続いて、暗い目をした抜け殻の入れ物が落ちてきて、政府軍の数人はすんでのところでそれを回避した。
そのときにはすでに、ジェイは執務室を抜け出し、扉を閉めて鍵にむかって発砲した。ロックされた状態で鍵が壊れたのを確認してから、部屋を出てすぐ目の前の扉を開き、目の前に広がる非常階段を駆け下りた。
「逃走経路をいま送りました」イヤフォンからクレメンザの声が聞こえた。
ジェイは左目で素早く二回、瞬きをしてコンタクトレンズ型のウェアラブルデバイスを操作した。クレメンザから送られてきた情報にざっと目を通し、ホワイトハウスからの脱出経路を大まかに確認した。
「ここを脱出してからはどこへむかえばいいんだ?」ジェイは訊いた。
「こちらを参照してください」クレメンザがそう言うと、ジェイの眼前にあらたなナビゲーションマップ情報があらわれた。
クレメンザが指定した場所は、かつてエフでジェイとクレメンザが二人で訪れたことがある、廃墟となったコンサートホールと同じ座標を示していた。
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