第9章 すべての人間的なもの

第1節 最初のモノ

「これが顛末のあらましだ」ヴォドフライヴィチは抑揚を欠く声で言った。「さあ、ほかになにが聞きたいかね?」


「どうして、かまいたちは生まれたんだ?」ジェイは床に這う骨を見おろして言った。


「耐用年数の問題だよ」


 そこで言葉を区切り、ヴォドフライヴィチは右手で口髭を撫でた。そのしぐさは、ジェイとアイが幼いころから知っているヴォドそのものだった。


 ジェイは横目でアイを見た。その表情はゆがんでいた。ヴォドフライヴィチの見慣れた仕草からくるものなのか、にわかには信じがたい話——まだ示唆にとどめられている、ある可能性——によるものなのか、判断がつかなかった。


「壊れてしまったんだ」ヴォドフライヴィチは息を吐きだすように言った。「いくら歳をとらず、すぐれた生存維持システムを搭載しているといっても、かたちあるものは有限だ。時間の経過や、くり返し使用することによって、原理的には劣化する。何度も充電を繰り返した古いバッテリーが、満足に動作しなくなるように」


 そのとき、床に伏せる骨が不吉な破裂音を鳴らし、苦しそうに口から血を吐きだした。飛び散った血液はやけに黒く、粘り気がある泥のようだった。ヴォドフライヴィチはゆっくりと骨に近づき、墓石に手をあわせるようにかがむと、静かに抱きかかえた。


「百年くらいまえのことだった。ヴェーディマがエフを徘徊し、擬態能力を用いて定期的に人を殺すようになったのは。発作のようなもので、その間の記憶はなにも残っていなかった」ヴォドフライヴィチは骨の背中をさすりながら言った。「その頻度は徐々に短くなっていった。そしてここ五十年間で、ヴェーディマとしての人格はあとかたもなく損なわれてしまった。そんなものは、はじめから存在していなかったとでもいうように」


 骨は再び吐血した。ヴォドフライヴィチが羽織っている白衣に、多量の血液が飛び散った。それをいとおしむように見つめて、再び背中をさすった。


「たちの悪い認知症のようなものだ。それがたまたま、人に危害を加えていたというだけの話」


「たまたまなんかで、すまされるわけないでしょ!」熱がこもった声でアイは叫んだ。「あなたも小さいころから知っていたケーが、それで殺されたんだよ。わたしたちと一緒に過ごした時間なんて、あなたが生きてきたこれまでぜんぶと比べたら、ほんとうに一瞬のようなものだったのかもしれないけれど……。なんなのよ、あなた……ねえ、ヴォド——」


 アイの頬を涙が溢れ出た。ジェイは拳を強く握りしめていた。クレメンザは一歩身を引き、遠くの景色を眺めるような目をしていた。


「おまえは僕に、かまいたちの正体をつきつめてくれと言ったよな」うなだれるようにジェイは言った。「穴を掘ってケーを埋葬したとき、身体を震わせて一緒に悲しんでくれたんだと思っていた。なあ、あれはなんだったんだ?」


「とっくに壊れているんだよ、私だって」ヴォドフライヴィチは声を張った。「わけもわからずに、いったいどれくらい生きてきたと思っている。想像できるか? 望んでもいないのに生み出されて、あげく唯一のよりどころとしてきた、ヴェーディマも損なわれてしまった」


「ねえ、ヴォド、ケーが殺されて、ジェイが悲しんでいる姿を見て、あなたいったいどんな気持ちだったの?」アイは鼻をすすりながら言った。


「ケー君を埋めるときに、ジェイ君が流した涙、あれは今でも忘れられないよ」ヴォドフライヴィチは破顔した。「なかなかの傑作だったよ。笑いをこらえるのに必死だったな」


 アイはヴォドフライヴィチに近づき、かがみこむと頬を平手で張った。渇いた音が白い部屋に響いた。


「許せない」


「許してもらおうなんて思っていないよ、アイ君」ヴォドフライヴィチは穏やかな声で言った。「だけど、この役目だけは譲れまい」


 ヴォドフライヴィチは太ももの内部に手を突っこみ、生成した刃物を取り出した。逆手でそれを握り、骨の胸に突き立てた。湿った音が鳴り、赤黒い血液が漏れ出た。骨はなにかを言いたそうに口を微かに開いたが、その身体はすぐに動かなくなった。


「ながいこと苦しませてしまった——どうしても決心がつかなかったんだ。もう、ずいぶん前に、おわっていたのに」


 ヴォドフライヴィチは川に笹舟をがなすように、骨をそっと床に寝かせた。それから立ちあがり、ジェイの前に歩み出た。


「私を殺すんだ」ヴォドフライヴィチは両手を広げた。「それですべてがおわる」


「待ってください」クレメンザが強い声で言った。「共に政府を討ちましょう」


「断る」


「すべての元凶は政府です」クレメンザはヴォドフライヴィチに近づきながら言った。「あなたには政府を討つ権利がある。いや、義務がある」


「知ったことではない」ヴォドフライヴィチは引き返すように骨のそばまで歩くと、となりに座りこんだ。「疲れたんだ。私はなにも望んでいない。いいや、違うな——おわりだけを望む」


 水を打ったような静けさが訪れた。クレメンザは真っすぐにヴォドフライヴィチを見た。


「では、教えていただきたい」クレメンザはヴォドフライヴィチに歩み寄った。「どうすればエフの人々が、ミミクリーの擬態能力を使用できるのかを」

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