第2節 クレメンザ③
深く濃い沈黙が垂れこめた。ジェイとアイはお互いに顔を見合わせてから、クレメンザを見た。いつもとなんら変わらない、まったくの無表情をしていた。
「ミミクリーの力は世界に必要ない」ヴォドフライヴィチは首を横に振った。
「まって」隙間を縫うようにアイが言った。「やっぱりわたしたちはミミクリーなの?」
「そうだ」ヴォドフライヴィチは冷徹に言った。「地上で生きられるのはミミクリーだけだ。依然、変わらずに」
再びすべてが静寂につつまれた。ときがとまったようだった。亜麻色のアイの瞳が、小刻みに左右を行き来した。やわらかい髪も揺れていた。
生まれてからこれまでのことが、ジェイの意識を駆け抜けた。母親の事故死、父親の失踪、ヴォドとの日々、アイと過ごしたひととき、ケーの死、雪に閉ざされたエフ、見知らぬテクノロジーに満ちたエーに降りてからのこと、出会い、別れてきた人々——
ジェイは出し抜けに拳銃を握り、ヴォドフライヴィチにむかって静かに歩いた。その歩みは意志に満ち、力強くたしかな足取りだった。その姿をアイは固唾をのんで見守った。
「どうか考えなおしてください」クレメンザはジェイを制した。「ヴォドフライヴィチを殺しても、なにも解決しません」
ジェイはクレメンザの手を振りほどいて言った。「もうすでにおわったことだ。なにもかもな。自分が人間だろうがミミクリーだろうが、そんなことはどうでもいい」
「だったら、なおさら——」
「なにかしらの使命感にかられているクレメンザには、きっとわからない」ジェイの青い瞳は、風一つない日の湖のように静かだった。「ケーを殺した、かまいたちの正体をつきとめることが、僕のすべてだった」
クレメンザは静かに頷いた。ジェイはヴォドフライヴィチに一瞥をくれた。
「だから、もうおわったんだ」そこまで言うとジェイはヴォドフライヴィチにむきなおり、銃口をむけた。「僕はこいつを許すことができない。それだけのことだ」
「いまヴォドフライヴィチを殺すことに、いったいなんの意味があるんですか?」
「意味なんて必要か?」ジェイは
「お願いです、やめてください」すがるようにクレメンザは言った。
「念のため訊くが、最期になにか言っておきたいことはあるか?」ジェイは拳銃を構えたまま、ヴォドフライヴィチに尋ねた。
「いいや」ヴォドフライヴィチは両目を閉じた。「早くしてくれ」
そのときだった。轟音と共に灰色の分厚い金属製の扉が吹き飛び、見慣れない戦闘服——エーの政府軍とは、あきらかに異なる——に身を包んだ部隊が部屋に突入してきた。
ジェイたちが身構える間もなく、そのうちの一人が機関銃を放った。味気ない音が響き渡り、無数の弾丸がクレメンザの身体を貫いた。
クレメンザが床に倒れた瞬間には、一部の隙もない包囲が完了していた。一拍おいてから、モーセが海を割ったようにジェイたちを囲む軍隊の人垣が開け、道ができた。
軍服に身をつつんだ一人の男が、戦闘服を着た軍人たちの間をゆうゆうと進み、ジェイたちに近づいてきた。磨かれた革靴のヒールが鳴らす音が、小気味よく響いた。
「指令——」遠い記憶を呼び起こすように、ヴォドフライヴィチは言った。
「これまでご苦労だった」眼鏡のブリッジを指で押しあげ、指令は言った。「さて、きみに宇宙へあがってもらうときがきた。きみだけなことが、心底残念だが」
「どうして——」ヴォドフライヴィチはだれにともなく、つぶやくように言った。
指令の姿は、ヴォドフライヴィチが最後に見たときとなんら変わりがないようだった。
「つい最近、コールドスリープから目覚めたのだよ」指令は軍服の襟を指でいじりながら言った。「もっともそんなテクノロジーを、きみは知りもしないだろうがね」
ジェイたちを取り押さえるために、数人の軍人が動こうとしたその瞬間、ヴォドフライヴィチはポケットに手を突っこんだ。機関銃の発砲音が響くと同時に、ジェイたちが立つ範囲の床が抜け、あたりを暗闇が覆った。それから頭上で爆破音が鳴り、鈍い振動が伝わった。
「こんなこともあろうかと、施設を改造していたのだよ」ヴォドフライヴィチがポケットからリモコン型のスイッチを取り出して言うと、地下室に明かりが灯された。
白い照明が、真っ赤な溜まりをつくるクレメンザを照らした。ジェイとアイが駆け寄った。
「あっけない最期です」抑揚に欠ける声でクレメンザは言った。
横たわるクレメンザをジェイは見た。上半身に無数の暗い穴が開き、そこから溢れだした血は白いシャツと、ブラウンのナロータイと、くたびれたスーツに濃い染みをつくっている。
「クレメンザ……」ジェイは両目を見開き、渇いた唇を震わせた。「だめだ」
「しかたがありません」クレメンザは微かに笑った。「ジェイさんとアイさんに、言わなければならないことがあります」
「喋るな」
ジェイは羽織っていたジャングルファティーグを脱ぎ、クレメンザの身体に巻きつけた。噴水にスポンジを突っこんだようなものだった。
「私は、エフで二人と出会ったクレメンザではないのです」
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