第9節 盛り場④
一時間半ほどが過ぎたころに、クレメンザの黒いセダンが戻ってきた。その間、ジェイが見張る老婆の小屋は、まったく動きがなかった。
二人は再び、クレメンザの車の中で話した。
「お婆さんはたしかに、昨日の十七時ごろ、ここから近いスーパーマーケットで買い物をしていました」クレメンザは前をむいたまま言った。「店員の証言も得られましたし、防犯カメラの映像にも映っていました。つまり物理的に、かまいたちではないと考えられます」
ジェイの身体に、濃い徒労感が垂れこめた。
「かまいたちがあったスーパーマーケットに戻りましょう」クレメンザは抑揚のない声で言った。
エフの市街地に戻る道中で、ジェイは思った。はたしてほんとうに、かまいたちの謎を解き明かすことができるのだろうか? 手がかりを追うだけでは、この徒労が繰り返されるのではないか?
事後的に得られる情報だけで、かまいたちの正体を突き止めることはきっとできない。決定的な材料をそろえる必要がある。その現場を抑えるような。
※ ※ ※
二人はエフ市街のスーパーマーケットに戻ると、かまいたちが他の監視カメラにも映っていないか確認した。
「表情一つ変えずに、ずいぶん堂々としているもんだな」かまいたちが映る映像を観ながら、ジェイは言った。「変電所の――あの、かまいたちみたいだ。姿かたちは違うけれども」
かまいたちは、一階にある正面の入り口からスーパーマーケットに入り、階段をのぼり、真っすぐに文房具屋にむかった。
文房具屋の店員を刺殺すると。顔色一つ変えずに――監視カメラの粗い映像では、少なくともそう見えた――、きた道をそのまま引き返すようにして、正面の入り口から出て行った。
「帰り道に何人かとすれ違っているが、だれも不信に思わなかったみたいだな」ジェイはつぶやく。「映像じゃわからないけど、それなりに返り血を浴びてると思うが」
「コートが黒いからわかりにくかったんでしょうか」クレメンザは首をひねる。「まあ、すれ違う人を気にする人なんて、ほとんどいませんからね」
そのとき、力任せにドアを開く音が鳴った。
二人がバックヤードの入り口を振り返ると、そこには警察官が立っていた。ケーが殺されたときに、診療所にやってきた男だった。
ジェイとクレメンザを交互に、舐めるように見ながら警察官は言った。「両方とも、どこかで見たことがある顔だな」
「行こう」ジェイはパイプ椅子から立ち上がった。
クレメンザも頷き、そのあとに続く。
「おまえら、怪しいな」警察官は口元を歪ませながら言った。「かまいたちが起こった場所で、よく見かける」
二人は警察官を無視して、その前を通り過ぎようとした。しかし、警察官の手がジェイの腕を掴んだ。
「俺を見るなり、逃げるように退散か」頬を覆う、苔のような髭を動かしながら、警察官は言った。「とっ捕まえるぞ、おまえら」
「手続きを踏んでからやるんだな」ジェイは腕を振りほどいた。「それができるだけの知恵が、おまえにあるのか疑わしいもんだが」
警察官は舌打ちをすると、ホルスターから警棒を抜いて、ジェイの頭に振り下ろした。
ジェイは素早く、軍用の懐中電灯をヒップポケットから引き抜き、逆手で打撃を防いだ。けたたましい金属音が響いた。
「残念だな」ジェイは静かに言った。「仕事に励むことだ」
そのまま二人はその場をあとにした。警察官は苦虫を嚙みつぶしたような顔をしたが、なにも言わなかった。
※ ※ ※
その翌日に、ジェイとアイ、そしてクレメンザは列車に乗りこみ、東の果ての港町にむけて出発した。
ケーを殺したかまいたちは、父親のディーかもしれないとジェイから聞かされたアイは、自分もついていくと譲らなかった。
長い旅路だった。目一杯、一日中列車に乗り、たどり着いた地でホテルに泊まる。渡り鳥のように。
そんな生活を丸五日も続けて、三人は
「久しぶりだな」ギャング――ジーは言った。「って、そうでもないか」
地下にある隠れ家のような個室のレストランで、三人とジーは落ち合った。
「そうですね」ジェイは苦笑した。「半月ぶりくらいですね」
「あれからこっちは、ずいぶんと忙しくなっちまったよ」ジーは煙草に火をつけながら言った。「すっかり、殺し合いだ。マフィアの連中と」
ジェイは頷く。「戦況はどうですか?」
「俺たちの優位だ」ジーはイワシの酢漬けを取り寄せながら言った。「奇襲に次ぐ奇襲で、短期決戦に持ちこんでいる。だからお前ら、いまは盛り場に寄り付かない方がいいぜ」
「絶対に寄らない」アイはよく冷えたシャブリを一口飲んで言った。「もうこりごり」
「ところで、俺の弟のエイチは役に立ったか?」ジーは尋ねた。
「おかげさまで」ジェイは頷く。「かまいたちの謎は、一筋縄では解けないということがよくわかりました」
ジーは目を細め、濃い紫煙を吐き出した。
「エイチ君の話を聞いて、かまいたちに関する新聞記事を遡って追ってみたんです。それで会ったのが、エム・タイムズの記者をしている彼です」
「はじめまして、クレメンザと申します」クレメンザは小さな声で言った。「かまいたちの事件を専門に追っています」
ジーは会釈して言った。「クレメンザ君、ジェイの力になってやってくれ。こいつは、なかなかおもしろい奴なんだ。肝が据わっててな」
「ええ。ジェイさんと行動を共にするようになって、まだ日は浅いですが、私も助かっています」
「かまいたち探しは、そろそろ次の段階に入るべきだと考えている」ジェイは独り言のように言った。
「どういうこと?」アイは首を傾げた。
「エイチ君やクレメンザと会ってよくわかったけど、どれだけ過去の情報を集めても、かまいたちを特定することは難しいと思う」ジェイは赤ワインのグラスをテーブルの上で回しながら言った。「つまり、その現場を抑えことはできないかと、考えている」
「同意見です。ただ、その手立てが浮かばないのです」クレメンザは無表情に言った。
「過去のかまいたちの発生状況を、あらためて洗い出そう。時期、場所、時間帯など……なにかしらの法則性が見いだせないか試してみたい」ジェイは言った。「そこで、もし可能であれば、ジーさんを頼らせていただくことはできないでしょうか?」
ジーは煙草の火を灰皿でもみ消しながら言った。「具体的には?」
「かまいたちの現場を抑えにいくときに、ある程度の人手が必要になる可能性があります。それだけの仮説を立てられるか、現時点ではなんとも言えませんが……、もしそのときは、ギャングの力を貸していただけないでしょうか?」
「ああ、そういうことなら構わないぜ。マフィアとの抗争を片付けた後ならな」
※ ※ ※
その二日後の午前中に、三人は極東の港町にたどり着いた。目の前には、鉛のように黒い海がどこまでも広がっていた。
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