第7節 ミミクリー①

「現在の政府による統治体制を崩壊させること、それが私の目的です」クレメンザはバックミラー越しに、四人の目を順に見ながら言った。「あなたたちと同じと言えます」


「だったらなぜ、二層にたどり着いておきながら、その存在を公にしないんだ?」


「そんなことをしても、なんの意味もないからです。立ち上がった民衆が権力を得られることは、ほとんどありません。イギリスの名誉革命など、いくつか稀有な例があるにしても」クレメンザはため息をついた。「二層で見聞きしたことを、一層の人々に公開するつもりだったと思いますが、それは悪手なので控えていただきたい。政府の警戒レベルを無用に引き上げるだけですから。もしそれを実行したら、私はあなたたちをすぐに政府に引き渡します」


「どうやって政府を転覆させるつもりなんだ?」アレクセイは鷲鼻わしばなをさすりながら言った。


「武力を用いて制します」クレメンザは平板に言った。「地上の世界に、政府を揺るがす戦略兵器があります」


 アレクセイは虚を突かれたように、一瞬だけ眉を動かした。「なにがあるっていうんだ? 大戦で滅びてながい時間が経過した地上に。そもそも地上世界なんて、ほんとうにあるのかすらわからない」


「ミミクリー」クレメンザは進行方向を真っすぐに見据えて言った。「それはたしかにあるのです」


 ハイウェイに入り、凄まじい速力で進むホバーカーが風を切る音が微かに響いた。青い空を突き上げるように伸びる無数のビルディングが、陽光――疑似的な――に照らされて、煌めいていた。


「いったい、どういう兵器なんだ? それは」アレクセイは首を捻る。


 クレメンザはそれに答えなかった。鳴り響く電話のコール音を意に介さないように。


「政府中枢に侵入し、ミミクリーに関する情報を奪います」抑揚に欠ける声でクレメンザは言った。「重要機密情報はイントラネット――つまり、クローズドな内部ネットワーク環境に保持されています。そのため、政府最高会議ビルに侵入する必要があります」


 クレメンザはそう言うと、ホログラムを四人の眼前に投影し、詳細な計画を語った。


    ※  ※  ※


 アレクセイの掌底打ちが的確に顎を捉えた。ジェイの意識はヒューズが切れたように一寸飛び、次の瞬間には灰色の天井を見上げていた。次いでアイの顎にも鈍い衝撃が走り、膝から床に崩れ落ちた。


「なぜタチアーナに駆け寄った?」アレクセイはティーの偽名を口にした。「なにがあっても止まるなと言ったよな」


 床に跪くジェイの腹をアレクセイは蹴り上げた。防弾ジョッキ越しに鈍器で殴られたような衝撃が伝わり、ゴムボールのように身体が弾んだ。


「なにか言うことはあるか? ジダン」アレクセイはジェイを見た。


「ありません」


 鎌を横薙よこなぎするように、アレクセイはアイの肩を蹴りあげた。アイはかがんだ姿勢から低く横に飛ばされ、頭を両腕でかばいながら床に落ちた。


「イレーナ、おまえは?」アレクセイはアイの偽名を呼んだ。


「ありません」


 アレクセイは唾を吐き捨てるように言った。「次は殺す」


 クレメンザはコンベンション・センターから少し離れた都市にある、巨大な建物の一室に四人を連れてきた。その建物は人の出入りが多く、一階にはロビーがあった。計、六〇四室を三〇〇九くちで共有持分権として分譲する、所有権つきオーナーズホテルだということだった。


 L字型の建物が錠をおろしたように長方形をつくり、中心部の空洞の地面には噴水があり、植栽が茂り、白いベンチがあり、そしてターコイズブルーのパラソルが置いてあった。


 そのパラソルを目に留めたとき、ちょうど陽が落ちようとしていた。外界を隔絶するようにつくられた、堅牢な広場の隙間から、こらえきれなくなったように夕陽が溶け出した。


 鮮明なターコイズブルーと、感傷的な赤が混ざり合い、ジェイの視界がぼやけた。そんなジェイを、斜め後ろからアイは目を細めて眺めた。


 クレメンザから与えられた部屋は一部屋だけだった。部屋は広く、備え付けのベッドが三台置かれていた。ジェイとアイがアレクセイから制裁を受けたあと、四人は順番にシャワーを浴び、無言で食事――一層から持ちこんだ、コンバット・レーション――をとり、それぞれ歯を磨いて、静かにベッドに入った。


 ベッドのスプリングは硬く、体勢を変えるたびに軋んだ音が鳴った。暗がりからこちらの様子を窺うねずみのように気に障った。


 ジェイは長いことまどろんでいたが、なかなか眠りは訪れなかった。身体感覚はひどく鈍く、指先とつま先の感覚はほとんどなく、粘度の高い被膜に覆われているようだった。


 その一方で、小気味よくシャッターを切るように、思考はくるくると様々な場面を映し出し、その一つ一つは妙に解像度が高かったり、逆にひどく粗かったりと、まちまちであった。


 父親――ディーが家を出る前に連れて行ってくれた食堂で食べた、暖かく素朴なスープの湯気、ディーが家に帰ってこなくなりしばらく経ってから、夜に家の戸口の外で泣いたときの、張り詰めた夜気やき飛沫しぶきのような星の海。


 賄賂わいろを巻き上げにきた警察官に警棒で殴られた痛み、奇妙な工場、鐘楼しょうろうの先に玉ねぎ型のドームがついた大聖堂、さかり場へと続く果てのないような線路、黒い海、井戸の底――それから。


 それから、弟――ケーの胸から溢れ出る新鮮な鮮血。手にかかった血の温かさ、完全に閉じることができなかった瞼、古いガソリン車の助手席に刻まれた血痕。


 ジェイは右手に力をこめた。ティーから譲り受けた、タクティカル・ペンを握っていた。諦めたように立ち上がり、床に敷いた布団に横たわるエルをまたぎ、備え付けのローテーブルに歩いた。


 静かにボトルを持ち上げてキャップを開き、ジェイはミネラルウォーターを勢いよく飲み下した。再びベッドに入り目を閉じたが、やはりすぐに眠りは訪れなかった。夜はながかった。

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