最終章 何方より来たりて、何方へか去る

第1節 シー

 その春は暖かかった。草木が萌え、小川がせせらぎ、暖かな風が強く吹きぬける。陽光——人口的な——が柔らかく、心地よかった。


 スペースコロニー——シーで、ジェイは生まれて初めて春という季節を体験した。そのコロニーにはちょっとした山脈があり、おおきな湖があり、勢いよく飛沫しぶきを散らす滝もあった。ジェイは尾根のふもとの街で一人暮らした。


    ※  ※  ※


 ヴォドフライヴィチの予想に反して、ジェイに暗殺の任務がくだされることはめったになかった。


 宇宙情勢は動乱の真っ只中にあった。地上に残された地球連邦と、宇宙にあがった宇宙連邦による対立構造だけでなく、宇宙連邦内で内紛が繰り広げられようとしていた。


 第一に、潜在的な民族意識や宗教観を土台としたナショナリズムの復権があった。


 地上帰化派が掲げたスローガン『祖国にかえろう』は、もう長いこと地上から切り離され、糸が切れた凧のように生きる人々の琴線に触れた。彼らは非公式に擬似的な祖国を建国し、自らの先祖が地上に残してきた、地下国家との融和を推し進めようとしていた。


 第二に、地球外生命体との邂逅かいこうがあった。宇宙連邦よりもはるかにテクノロジーが進歩している彼らは、当初、宇宙連邦と地下国家をふくむ地球の占領、あるいは殲滅を目論んでいると思われた。


 しかし、初接触から半世紀ほどが経過しようとしているが未だその気配はなく、それどころか宇宙連邦に自らの科学技術の一端を授けた。地球からおおよそ五百光年かなたの異星人は、異なる文化との交流が、自分たちをより豊かにすると説明した。


 だれ一人として異星人の建前を信じる者はいなかったが、それでも技術譲渡を受けた宇宙連邦は、数世紀にわたる時間を早送りしたように飛躍的な科学技術の発展を遂げた。そして、秘密裏に異星人と深い関係を築き、太陽系の覇権を握ろうとする、太陽系平定派が宇宙連邦内に生まれた。


 こうして、宇宙連邦の内部にそれぞれ過激な地上帰化派と、太陽系平定派が生まれ、さらに地下国家との対立もあり、いつふたたび戦乱の幕があけるとも知れない、緊張状態が続いていた。


 そんななかでジェイにくだる任務はもっぱら、地上帰化派の妨害——いまだ地上に残されたままのエフ、すなわちミミクリーの隠蔽工作と、太陽系平定派が独自に異星人から取得し、おおやけになっていない技術情報の入手。すなわち、情報戦における裏工作がほとんどだった。


 ときおりエフとエーとを行き来しながら、ジェイはただひたすらに任務をこなした。


    ※  ※  ※


 コロニー——シーでおこなわれる連邦議会にあわせて、任務がジェイにくだされた。とある技術者の暗殺だった。


 地上帰化派にくみするその技術者は、すでに地上で生活している人々がいるのではないかと仮説をたて、その検証を進めている人物だった。


 地上帰化派はいまのところ科学技術に乏しく——情緒的に地上にリソースを割くべきではないと考える技術者がほとんどだった——その活動のほとんどは地下国家との外交が占めていた。


 だが、遅かれ早かれエフの迷彩となっているジャミングを突破される危険性が高まっていた。その芽を摘むことが目的だった。


 連邦議会が行われるコンベンションセンター近くのホテルに、ターゲットがチェックインしたとの情報を受け、ジェイは擬態能力を発動させた。


 その瞬間は、いつもすこしの混乱がジェイを捉える。溶ける身体、なめらかで艶やかな、鏡面上の異形、それからヒトとして身体が再構成される——何度繰り返しても、慣れることのない感覚が身体にはしる。


 短く切りそろえられ、几帳面な七三わけに撫でつけられた黒髪、広い額に骨ばった鼻、ダークグレーのスーツに身を包んだ大柄な男が現れる。男はターゲットがよく知る——対立が顕在化している——ジェイが属する派閥の議員だった。


 議員はホテルまでホバーカーで乗りつけ、真っすぐにターゲットの部屋にむかった。


 ホテルのエントランスは天井が高く、吊るされた暖色のシャンデリアが柔らかくあたりを照らしている。そのむこうに大階段が備えつけられていて、ロイヤルブルーの絨毯が色鮮やかだ。いかにも懐古的な趣きのホテルだった。


 ドアベルを鳴らしてすこし待つと、いかにもいぶかしんだ表情の技術者が微かにドアを開いた。


「こんな時間に、きみがいったいなんの用だ?」


「明日の議題について、私共の技術部門から言付けを内密に預かっています」議員は小声でささやき、中に入れるように身振りで示した。


 部屋の中に入り、奥に進もうとした技術者の心臓を背中から刺した。刃物はするりと身体に入ったが、技術者は勢いよく振りむき、拳銃を取りだして躊躇なく発砲した。


 何発も放たれた弾丸は、議員の左肩と右腰を貫いた。しかし、議員は構うことなく、表情一つ変えずに刃物を何度も技術者の胸に突き立てた。技術者はすぐに動かなくなり、アイボリーの絨毯に真っ赤な溜まりができあがった。


 議員は立ち上がると、素早く部屋を出た。長い非常階段をおりてホバーカーに戻ると、指令部にむかってすぐに発進させた。撃たれた肩と腰からは、とめどなく血が流れていた。


 身体の空気が抜けていくような感覚に襲われ、議員——ジェイは気が遠のくのを感じた。深く息を吐き出してから、静かに目を閉じた。


 疑似的な丸い月に、高層ビルが林立する街が青白く照らされた夜だった。

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