第2節 不良の森

 すべてを隠すように、深い森は広がる。その中でも、樹木がひときわ密集している場所に、不良の森はあった。


 荒っぽいことになる予感があったので、ジェイは一人でやってきた。


 頭上を格子のように枝が覆い、光を遮る。それでなくても、鈍色にびいろの雲に阻まれて、エフの陽光は弱々しい。陽の光がほとんど届かない、薄暗い場所だった。


 しばらく進むと、太い樹木の前にビニールシートを敷き、その上に寝そべる数人の若者が見えてきた。四方を囲むように置かれた、ガスヒーターが青白く燃えている。


 まず最初にジェイが気づいたのは、鼻腔びこうを突く、すえた臭いだ。切りつけるように鋭く、それでいて獣じみた野性味に溢れた臭い。


 それから、彼ら、あるいは彼女らの異様な目つきに気づいた。夢うつつの、とろけるように甘美な眼差しで宙を眺めている。


 だれもがひどく弛緩した顔つきで、半開きの口から、よだれを垂らしている者もいた。身に着けた衣類は、そのどれもが、ドブネズミのように薄汚れている。


 ビニールシートの上には、酒瓶と食べかけのハンバーガー、そして注射器が転がっていた。


「ちょっといいか?」ジェイは彼らに話しかけた。「訊きたいことがあるんだが」


 男の一人がおもむろに立ち上がり、食べかけのハンバーガーを踏んづけてやってきた。ケチャップでソックスが汚れたが、男はそれに気がついていないようだった。


「俺を、倒してからだ」


「話を訊きたいだけなんだが」


「俺を、倒してからだ」男は紫煙を吐き出しながら、繰り返した。


「煙草じゃないな、それは」男が指にはさんでいる物を指差して、ジェイは言った。「なかなか、キまってるみたいだな」


「当たり前さぁー」ビニールシートに寝そべったままの男が言う。「ここは俺たちの、新しい国だぁーい」


「国なんてない」ジェイは平板な声で言った。


「だから俺たちが国をつくったんだぁーい」


「話を戻そうか」ジェイは一歩前に進んだ。「訊きたいんだが、かまいたちって知ってるか?」


「話は、俺を、倒してからだ」ジェイの前に立ちふさがる男が言う。


「言葉を覚えてる奴はいないのか?」ジェイは首をひねる。


「俺を、倒してからだ」


 目の前の男を、ジェイは軍用の懐中電灯で殴りつけた。側頭部を打たれた男は、糸引きごまのように、勢いよく回転してその場に倒れた。


「会話ができる奴はいないのか?」


 次の瞬間、乾いた発砲音がその場に響いた。音がした方をジェイは見やる。ビニールシートの上から、一人の男が拳銃を発砲していた。


「舐めてんのか、てめえ」男は銃口をジェイにむけたまま言った。


 拳銃を構えた男の前に座っていた男が、左肩を抑えてうずくまる。「いてえ……、いてえよぉー! なんだよ、これぇー! あぁー!」


「あーあー、おまえ、当たっちまったのか? 馬鹿野郎、ちゃんと弾をよけろよ」拳銃を持った男は笑う。「しょうがねえな、これをやるよ」


 拳銃を持った男は注射器を差し出す。撃たれた男はそれを受け取り、満面の笑みを浮かべた。


「注射器の回し打ちはやめな」女の一人が言った。


「うるせえ! すっこんでろ! この、あばずれが! それどころじゃねえんだよ、こっちはよぅ。痛くて痛くて、たまんねえんだよ」撃たれた男はベルトで腕を縛りあげると、動脈に注射器の針を突き立てた。「あー、やばい、これは……、キくわ……」


「上物だぜ」


「やりたい放題だな、おまえたち」思わずジェイは笑う。


「当たり前さぁー。麻薬だって、やりたい放題だぁーい」寝転んだままの男が言う。


 撃たれた男が快楽のふちに沈んだのを見て、拳銃を構えていた男も、自らの腕に注射器の針を刺した。プランジャーを押しこむと、男は目を見開いてから、恍惚とした笑みを浮かべた。


「なあ、かまいたちを知ってる奴はいないか?」ジェイはビニールシートに歩み寄って言った。


「イカれた殺人鬼でしょ?」あばずれと呼ばれた女が言った。


「そうだ」ジェイは頷く。「その、かまいたちが、このあたりの森を根城にしてるんじゃないかって話が待ち上がったんだ。なにか知らないか?」


「俺たちゃ、なんも知らないやぁーい」寝そべった男が言った。「なにが起ころうと、知ったこっちゃないやぁーい」


「残念だけど、そんな話はきいたことがないね」女が言った。


「君たち以外に、この森に出入りする人物を見かけることはないか?」


「ここは俺たちの国だぁーい」寝そべった男はそう言ってから起き上がり、酒瓶に口をつけた。


「たまに見るよ、見慣れない人」女は煙草に火をつけて言った。「最近はたて続けだったな」


「最近見かけたのはいつ頃?」


「つい二週間くらい前と、一か月ちょっと前かな」女は頭上を見上げるようにして言った。


「見かけたのは、どんな風貌の人?」


「おばあちゃんと、中年のおっさん」


 すべての情報が、直近のかまいたちと合致する。背中に電流のようなものが走り、身体に血液を送り出す、心臓の動きが強くなったのをジェイは感じた。


「その二人は、どっちの方角からきた? もしくは、どっちにむかってったか、わかる?」


「さすがにそこまでは覚えてない」


 女がそう言ったとき、寝そべっていた男が、目が覚めるように青いビニールシートの上に嘔吐した。


「ちょっとあんた、こんなところでやめてくれよ!」女は立ち上がりながら言った。「どいつもこいつも、まったく、しょうもないね。ところでお兄さん、よかったら遊んでく?」


「せっかくだけど、遠慮するよ」ジェイは首を横に振り、踵を返して歩き出した。


「よかったらまたきてよ! あんたなら、歓迎だからさ」女の声が森に響いた。

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