13. ゆるゆると、ただよいながら

第88話

「この後、私の家に来ませんか? いや……来てください。泊まりで」

「えっ……?」


 山本さんの言葉に、ついついびっくりしてしまう。いや、確かにわたしも、山本さんをお持ち帰りできたらいいなあと思っていたのだけれど。


 ……いや、この場合はわたしがお持ち帰りされる側なのか。


 でも、そんなの、どっちでもいい。


「……行きます」


 わたしの手を包む山本さんの手を、さらに強くぎゅっと握りしめた。



 *



 山本さんの家に行くのは、なんだかんだ、これが三回目だ。


 一度目は酔っ払っていて記憶があやふやで、二回目のときは体調不良の山本さんのお見舞いだったから、今日みたいにお互いにしっかりした状態で、一緒に部屋に入るのは初めてだった。


 だからというわけじゃないけど、決して変なことを期待しているわけじゃないけど、いや、ちょっとだけは期待してしまっているけど、だから、その。


 ……やっぱり、無駄にドキドキしてしまう。


 せっかくだから、山本さんの家でゆっくり夕食を食べようということになって、途中でスーパーに寄って食材を買った。


 何を食べるか迷ったけど、とりあえずワインとチーズは外せないよね、っていうのは、もうお互いの共通認識だ。初めて二人で一緒に飲んだ時もそうだったな、と思うと、なんだか不思議な気持ちだった。


 家に着くと、山本さんは早速キッチンで支度を始める。


「円城寺さん、もしよかったら、先にお風呂でも入っちゃってください。私、準備しておくので」


 改めてそう言われると変に意識してしまうけど。


「……前みたいに、お酒飲んで寝落ちしちゃうと面倒なので、先に入っちゃったほうがいいでしょう?」


 そんなことを言われてしまった。


 ……そっか、これからお泊まりだもんね。


「じゃあ、お借りしますね」


 そう言ってお風呂を借りることにした。


 お風呂から上がる頃には、キッチンからはすでにいい匂いがしていて、ついついテンションが上がってしまう。


「わああ、美味しそう」


 山本さんがかき混ぜている鍋の中をそうっと覗くと、さっき買った塊のお肉が煮込まれていた。今日のメイン、牛ヒレ肉の赤ワイン煮込み。


 山本さんも普段はこんなの作らないって言ってたけど、一緒にお鍋に入れた野菜たちがすごくいい香りを出していて、なんだかプロっぽいなって思ってしまった。


「じゃあ、今度は私がお風呂入ってくるんで、あとはよろしくお願いします。……あ、火加減は弱火のままで、ときどき混ぜるようにして、焦がさないでくださいね?」

「え? あ、はい!」


 気づけばとっても重要な役割を任されてしまっている気がするけど、まあいいや。


 こっそり冷蔵庫の中を覗いてみると、さっき準備したらしい付け合わせの野菜料理なんかも冷やされていた。……あっ、ボウルの中にマッシュポテトまである!


 まるで実家に帰ったみたいに、充実したご馳走のラインナップだった。


 言われた通りにときどき煮込みのお鍋をかき混ぜていたら、山本さんもお風呂から上がったので、一旦火を止めてワインで乾杯することにした。


 なんでも、煮込みは一旦冷やしたほうが美味しくなるということだったから、いい感じになるまで軽く飲んでいようということなのだった。


「乾杯!」

「かんぱーい! お疲れ様です〜」


 こういうとき、ついお疲れ様って言っちゃうのは社会人あるあるだよね。


「さて、お疲れの円城寺さんに、見せたいものがあるんだけど……」


 乾杯するやいなや、山本さんはそんなことを言う。


「じゃーん!」


 キッチンの奥から山本さんが見せてきたのは、なんと。


 生ハムの、原木だった。


「ちょ、ちょっと、なんですかそれ! 反則ですよ!」

「ふふふ、円城寺さんが食べると思って、買っちゃいました」

「えええ〜〜〜」


 なに、この、嬉しすぎる展開。


 きゃあきゃあ言いながら、ナイフで生ハムをちょっとずつ削ぎ落として、ワインと一緒にいただく。塩気と旨みがほんとうにバランスよくて、ひと口食べただけでもう、ニコニコしてしまう。


 でも、そんなことよりもなにより、山本さんがわたしのことを思って準備してくれたということが、何よりも嬉しくてたまらないのだった。

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