第10話

 翌日の朝は、珍しく円城寺は私よりも先に来て、自席で作業を始めていた。夏だけど、雪が降るんじゃないかって、ちょっと心配になる。


「円城寺さん、おはよう。ずいぶん早いね」

「山本さん、おはようございます!」


 私が挨拶すると、円城寺はわざわざ手を止めてこちらを向いて、キラキラの笑顔を返してくる。そして、得意げに言った。


「私、このリストのショートカットキー、全部覚えました!」


 あまりに自信満々に言うものだから、ちょっと試してみたい心がうずうずとしてくる。


「え……そうなの? じゃあこれは?」

「ええと、それは……こうです!」


 ちょっと心許ない印象はあれど、円城寺は渡したリストに載っていたショートカットキーをちゃんと覚えてくれたようだった。


「お疲れ様。よくがんばったね」

「えへへーがんばりましたー」


 たったそれだけのことなのに、普段の円城寺への期待値が低すぎるせいで、まるですごいことをしてくれたかのように錯覚する。だけど実際、円城寺にとっては大変なミッションだったのだろうから、ここは素直に褒めておいて良かったのだろうとも思う。


 褒められた円城寺は、仕事中だっていうのに、めずらしく締まりのない顔をしていてテンションが上がっていて、まるで飼い主にお気に入りのおやつをもらった犬みたいだった。


 ついつい、頭でも撫でてやりたくなる。

 ……って、何を考えてるんだ、私は。


 気を取り直して、指示を出す。



「じゃあ今日も、引き続き昨日の作業やってみてね」

「はい!」


 円城寺は元気に返事をして作業にとりかかった。



 しかし、それからわずか数十分後のことだった。何やら、隣から悲鳴が聞こえる。そして円城寺が悲愴な顔をして私の肩を突っついてきた。


「山本さん、あの……」

「どうした?」

「なんか、へんなのでちゃいました!!」


 何事かと思って覗きに行くと、画面にはエラーを示すウインドウが出ていた。


「ほう……どうしてこうなったの?」

「うう……ごめんなさい」

「いや、ごめんなさいじゃなくて。どの操作をしたときにこれが出たのかを訊きたいだけ。怒ってるんじゃないですよ」


 常日頃から怒られているせいで、円城寺は反射的に謝罪をするようになってしまっているようだ。しかし話を聞いてみると、意外な答えが返ってきた。


「この画面を開いた後に、プルダウンを閉じてまた開いて……そのあとボタンを押したら、エラーが出てきたんです」


 それは、頼んだテストのリストには載せていない操作だった。


「あの……どうして、そんな動きしたの?」

「それは、その……うっかり間違えてしまって」


 そんなの、普通に仕事をしていたらまずしない操作だから、私はまったく気が付かなかった。だけど意外にも自分の操作をしっかりと覚えてくれていたから、このあとはすぐに修正に取りかかれそうだった。


「よく見つけたね。ありがとう」

「え……怒らないんですか?」

「あのね……私はあなたにデバッグをお願いしたんだよ。バグを見つけてくれたんだから、むしろグッジョブですよ」


 そう言うと円城寺はぱっと笑顔になる。


「よかった! 私でもお役に立てたんですね!」


 その純粋な笑顔を見て、うっかり可愛いと思ってしまったけれど、それは心にしまっておくことにする。


 円城寺はその後も、いくつかバグを見つけてくれた。そのほとんどはテストのリストにない想定外の操作で、もしかしてこの子は、バグを見つける天才なのでは? などと思ってしまうくらいだった。


 円城寺はびっくりするくらい想定外の動きをするミスが多いから、それが逆に良かったのかもしれない。円城寺の仕事のできなさが、こんなところで役立つとは思わなかった。


 その日私は、円城寺のおかげで見つかってしまった修正箇所を直すため、また遅くまで残業をすることになったのだった。




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