第49話
それは、なんでもないいつもの朝のこと。山本さんとの仕事にもすっかり慣れてきて、ちょっとだけ気が抜けたわたしは、ついつい朝起きるのが遅くなってしまって。
最近はいつも山本さんよりも早く出社しようと頑張って来ていたのだけど、この日は始業ギリギリの到着になってしまったのだった。
「おはようございますっっ」
ギリギリで席に着いて、右隣に向けると、そこには。
なんと、いつもよりも三割増しに可愛い山本さんの姿があった。
普段とは違う、しっかりメイクで。パンツスタイルはいつも通りだけど、シャツは今まで見たことがない、明るい雰囲気のものになっている。
「おはようございます。あ、円城寺さん、例のツールなんですけど……」
そう言って始業早々に、いつもと同じようにお仕事の話を振ってくるのだけど。
山本さんの端末の画面を覗き込んだ時に、気づいた。
近づいた右隣から、ふわり、と香る、いい匂い。
……多分これ、香水だと思う。
いつもはそんなの、つけていなかったのに。
なんだろう、なんとなく、変な予感がする。
まさか、と思う。妄想であってほしい、と願う。
でもそれが、現実のものになるだなんてこと、このときのわたしはまだ気づいていなかった。
*
翌週の月曜日は、山本さんはいつもと同じ服装になっていた。
この前の山本さんは一体なんだったんだろうと疑問に思ったけれど、それからしばらく、お仕事が忙しくて。
山本さんのほうから、例の香水の匂いが漂ってくることもなくて。
だから、わたしはすっかり忘れてしまっていたのだ。
だけど、しばらくあとのお昼休みのことだった。
いつもと違う、山本さんの行動が、つい目に留まる。
「山本さん、珍しいですね」
「え、何が?」
「いや、お昼休みにスマホいじってるのが。いつもなら、お昼食べたらギリギリまで寝てるのに」
「ああ、ちょっと返事しなきゃいけなかったから」
そんなことを言われれば、その内容がついつい気になってしまう。
「……お友達ですか? え、もしかして、男の人??」
「いや、まあその、うん。前に、合コンで会った、江藤って人」
心臓が止まるかと思った。
江藤って、誰だっけ。ポンコツ頭をフル回転させて、記憶を引っ張り出そうと試みる。
いや、そりゃ、この間確かに合コンに行ったけれど、わたしは山本さんとの一件や、アキラ君との嫌なデートの記憶でいっぱいいっぱいで、その場にいた他の男の人のことは、ちっとも思い出せなかった。
わたしが戸惑っていると、山本さんは続けて話してくれる。
「このあいだ一緒に出かけたから、一応お礼の文を送らないといけないかと思って」
「このあいだ出かけた!? デートってことですか!?」
「い、いや……そんな大したもんじゃないけど。ただ一緒に水族館に行っただけであって」
「す、水族館……!? 思い切りデートじゃないですか……」
「いや、別に……。あ、そろそろ時間ですよ。仕事しないと」
そう言って、山本さんは自分の端末のほうを向いてしまう。
そのタイミングでちょうどチャイムが鳴り、話は終わりになってしまった。さっきの衝撃発言を、わたしの頭の中に残したまま。
それで、午後の仕事中は、その話が気になって気になって仕方なくて。
もちろん、頑張って仕事に集中しようと試みるのだけど、うまく気持ちが切り替えられない。
わたしは、どうしてこんなに動揺してしまっているんだろう。
山本さんだって、いい年した大人の女性なのだから、デートくらいするだろう。
それにそもそもあの合コンは、わたしが誘ったものじゃないか。
「大丈夫? 体調でも悪い? 顔色良くないけど」
わたしの様子に気づいたのか、山本さんは心配して声をかけてくれる。
「え、えっと……なんでもないです」
まさかデートの件が気になってしかたない、なんてことは言えないし。
「無理しないでね」
「はい、すみません……」
山本さんはこんなときでも、優しい。
その優しさで、なんだか目が潤んできてしまう。
ああきっとこれは。花粉か何かのせいだ。
もう夏になるっていうのに、わたしはそんなことを思うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます