第70話

「やったー」


 私の言葉に、円城寺はまるで子犬のように、いつものあの人懐っこい声を上げる。

 そしてちょっとベッドの端に寄って、スペースを空けてくれる。


「……あ、じゃあ、その、失礼します」


 そして私は、いつもの陰気な中学生みたいにそう言って、円城寺の横のスペースに寝転ぶ。

 さっきまで円城寺がいた部分だけ、温かくて、夏だからその温度は別に嬉しいものではないはずなのに、つい落ち着くと感じてしまうのは、いったいなぜなんだろう。


 布団に入ると、なぜだか微かに甘い香りがした。

 うちのシャンプーやボディーソープを使っているはずだし、着ている服だって、香るとしてもせいぜいうちの柔軟剤のものだと思うけど。


 そのどれとも違う香りなのだから、それはやっぱり、円城寺の香りなのだ、きっと。

 そんなことに気づいてしまって、なんだか気まずい気持ちになる。


 しかし、『失礼します』ってなんだ。これは私のベッドなのに。


 円城寺の隣で寝るのは、いつぞやの合コンの日の失敗があるので、初めてではないけれど。

 あのときはそもそも酔いすぎて記憶がなかったから、今みたいな緊張はしなかった。


 ……だめだ、あのときのことを思い出したら、頭がおかしくなる。


 そう思って、頭の中から必死にそれを追い出す。



「お布団、どうぞ〜」


 妙に上機嫌な円城寺は、私のほうにも布団をかけてくれる。私は布団は重たいのが好きだから、夏だけど、うちの布団は結構な存在感があって、お布団に触れるとやっぱり、頭の中がほわん、としてきてしまう。


「……ありがとう」


 そう言うだけ言って、円城寺のいる方とは反対側を向く。

 こんな至近距離で円城寺の顔なんて見れるわけがないし、女同士とはいえ、そもそもコミュ障の私にはこの距離は気まずすぎるし、仕方ないと思うんだけど。


「そっち、向いちゃうんですか……?」


 円城寺はすごく寂しそうな声で、そんなことを言う。


「早く寝てください。何時だと思ってるんですか」

「……ごめんなさい」


 背中を向けていても、しゅん、としてしまっている円城寺が目に浮かぶ。

 

 そんなの想像したら、ああ、だめだ、もう。


「別に良いですけど……」


 結局、そう言ってしまう。

 だけど、恥ずかしくて、そちら側なんか、向けるわけがない。


「円城寺さん、あの、さっきの話なんですけど」


 後ろを向いたまま、私は勇気を振り絞って、言葉を発する。すごく怖かったけど。


 今しか、聞けない。


 そう思った。


「……どういう意味ですか、その、『好き』っていうのは」


 言いながら、自分の声が震えているのが、わかった。


「えっ……」


 円城寺はよほどびっくりしたらしい。後ろから、もぞもぞ動いている音が聞こえる。

 多分、足をばたばたさせている気がする。


 これは、もしかして、と思う。

 さすがの私でも、わかる。


「私、わからないんですよ。そういうの。『好き』とか、それを私に伝えて、円城寺さんは、どうしたかったんですか。……私にどうしてほしいんですか」


 言葉を発すれば発するほど、つい、きつい言い方になってしまう。鼓動がうるさくて、苦しいほどで。


 ……わかってる。


 私はただ、正体不明のモヤモヤを、どうしたらいいかわからないこの気持ちを、円城寺に八つ当たりみたいに、ぶつけているだけなのだ。


「山本さん……わたし」


 私の言葉のせいで、円城寺はすでに涙声になっていた。


「……山本さんの近くに、行きたい、です」


 震える声で、明らかに泣いているのがわかる声で、そう言うのを聞いてしまえば。


 恥ずかしいくらいに破廉恥な私の頭の中は、もう、どうにかなってしまいそうだった。

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