第60話
先日からみんなで進めているペーパーレス対応も、いよいよゴールが見えてきた。
そんな中で、わたしは山本さんからあるお役目を任されてしまった。それはみんなのお仕事をまとめたマニュアルを作ってほしいということだった。
今、わたしと山本さんは、ペーパーレス化の作業と同時に、今使っている共有フォルダの中身を整理して、今行なっている経理課の作業を洗い出す作業をおこなっている。
それらの作業をまとめて、ゆくゆくはみんなのお仕事を、何かあったときに担当以外の人にも引き継げるような、わかりやすい業務マニュアルを作ってほしいとのことだった。
それってすごく大役のような気がするんだけど、山本さんいわく、この作業はわたしが一番の適任だということだった。なぜかといえば、この課の中ではわたしが一番の下っぱだからだ。
経験が浅くて、なんとなくふわふわとした作業の流れならわかるけど、まだ業務の全貌を掴み切ってはいないから。
そして、残念ながら、わたしはお仕事が壊滅的にできない人間だから。
経理課の業務は共通のマニュアル化がされていなくて、なんとなく長年の経験で覚えた個人の記憶とメモを頼りに毎日の作業が行われているらしい。
わたしも今まで、他のメンバーに言われた通りの作業をこなしているだけだったし、言われてみれば全体の流れというものはいまいちわかっていなかった。
山本さんが言うには、そんなわたしが、今後全体のお仕事を覚えながらマニュアルを作っていってほしいと、そういうわけらしい。
つまりは、こうだ。
一番おバカで、一番仕事のできないわたしでもわかるような、わかりやすいマニュアルを作れ、ということなのだった。
そういうわけで、わたしは今日も残業をしている。
「円城寺さん」
「ふえっ……は、はい! なんでしょう?」
集中して作業していると、ふいに後ろから話しかけられてドキッとする。
いや、ただ話しかけられるだけなら全然構わないんだけど。
それがその、その相手が好きな人……で、しかも首筋にひんやりしたものを当てられたものだから、つい変な声が出てしまった。
「ごめん、そんなにびっくりするとは思わなかった」
「びっくりしますよー! もうー」
そう言いながら振り返ってみれば、首筋に当てられたひんやりしたものの正体がわかった。
「コーヒー、甘いのでよかったっけ?」
そう言って、缶コーヒーを目の前でゆらゆらさせてくる。
まったくもう、山本さんってば。
確かに甘いのも好きだけど。あんまりそればっかり飲んでたら太っちゃうから困るんだけど。
……だけどもちろん、もらって嬉しくないはずはない。
「最近、残業ばっかりだから、大丈夫かなって思って。頭使う作業してるんだから、これくらい飲んでも大丈夫でしょ。ちょっと休憩しようよ」
そんなことを言ってくる。
そういえばいつぞやも、わたしがVBAの勉強を頑張っているときに、こんなふうに缶コーヒーをくれたなーと思い出す。
あの頃は、まだまだ全然、何も感じていなかったけれど。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
そう言ってコーヒーを受け取るときに、そのとき、わたしの心臓が突然バクバクと鳴り出すのが自分でわかった。
ほんの一瞬だけ指が触れてしまったのだ。
……やだ、もう。
いい歳して、こんなことで。
顔が熱くなる。ううん、顔だけじゃなくて身体も。全身が。
わたしは本当に、どうしてしまったんだろう。
恥ずかしくて、苦しくて。
せっかく差し入れをもらったのに、わたしはちっとも山本さんと目を合わせることができないのだった。
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