第5話
小腹の空いてくる十五時。給湯室で珈琲を淹れて席に戻る途中、書類棚の方でドシン、と音がした。嫌な予感にそちらを見てみれば、やっぱり犯人は円城寺だった。
円城寺は、折れてしまいそうな白い細い腕で、大きなファイルを運んでいるところだったのだが、一度に多くの物を運ぼうとして、うっかり落としてしまったらしかった。
はあ、とため息をつきながら、私はそちらへ向かう。
自分の仕事もあるというのに、自分は何をやっているのだとうと思うのだけど。
「大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。落としちゃいました……」
声をかけると、円城寺は全然悪びれずにヘラヘラと笑っている。するとそこへ、さりげなくもう一人の人物が現れた。
「莉乃ちゃん、大丈夫? 俺が一緒に持って行こうか?」
ここぞとばかりに寄ってきたのは、総務課の例のセクハラ社員だった。話しかけながらさりげなく円城寺の肩に触って、にやにやと笑っている。円城寺の反応を見ると、わずかにだけど、顔を曇らせているようにも見える。
もしかして、と思うと同時に、私は彼に言い放つ。
「大丈夫です。円城寺さんは私が手伝うので、お気になさらず、ご自分の業務に戻ってくださいね」
『ご自分の業務』なんて言葉を使いながら、そういえば自分も人のことは言えないなと気づいたけれど、それに関しては気にしないことにする。それに一応私は、同じ経理課の人間ではあるわけなので、どちらかといえば、私のほうが円城寺を手伝うというのが、筋だという気がするし。
そんなやりとりをしながら、私は円城寺の荷物を半分持ってやることにした。
別に、セクハラ野郎から守ってあげようとか、そういう優しい気持ちからじゃない。ただ単純に、セクハラ野郎と円城寺のやりとりを目にした女性社員からの目線だとか、その場に生じるであろう、いやーな空気を未然に防ぎたかっただけだ。
先月分の古いファイルを下のフロアまで運び、キャビネットに収納した。
「はあ、重かった」
「ごめんなさい、手伝わせちゃって。それと、さっきはありがとうございました」
セクハラ社員から守ってあげたことを言っているらしい。なんだ、ちゃんとわかってるのか。
「いや、ただあの人が気持ち悪かっただけなので。気にしないでください」
「いつも、結構、困ってたので。助かりました」
「そうなんだ」
「はい。それに、このフロアに来ると人気も少ないし、二人きりになるかと思ったら、ちょっと怖くて」
円城寺はそう言って、ほっとしたように笑う。そうだ、あんな露骨なセクハラされて平気なわけがない。
こういうとき、容姿が優れているというのも考えものだなと思う。負け惜しみに聞こえるかもしれないけれど、あんなふうにセクハラされるくらいなら、私は不美人でよかったと思う。
「このあとは、どうするの?」
「ええと、総務課のほうのファイリングも頼まれてるので、そっちに移ります」
「そっか。がんばってね」
上の階に戻りながらそんな会話をする。必要以上に干渉するのはよくないだろう。これは円城寺の仕事なのだし。
そう思っていたはずなのに、私の思いとは裏腹に、事件というのは立て続けに起きるものらしい。
頼まれていたツールのチェックを終えて、木村さんに報告を入れると、こんなことを言われる。
「山本さん、悪いんだけど。円城寺さんのファイリング、手伝ってもらえないかな? 今月は総務の書類が結構多いみたいで。私たちも今、手が離せないから、お願い!」
木村さんの視線の先には、少し離れたところにある長机の上で、書類の山に囲まれている円城寺の姿があった。確かにいつもの書類よりも量が多いようで、なんとなく手こずっている様子が見て取れる。
「わかりました。行ってきます」
「ごめんね、山本さん。ありがとう!」
まったく人使いが荒い。まあ、手が空いているのは本当だからいいんだけど。
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