第54話
ペーパーレス化対応のための、長く続く残業の日々も、夏季休暇のシーズンを迎える前にはひと段落しそうだった。
「みんな、お疲れ様」
「あーもう、疲れましたよ」
「あと少しで終わる……」
「よかった……」
口々に上がる愚痴とため息の中にも、安堵の色が混ざってきた。
「じゃあこれで、暑気払いができるね」
「やったー!」
「ビアガーデン行こ!」
いつもはプライベート優先のクールな経理課だけど、ここ数日の残業祭りのおかげで、不思議な連帯感が生まれていた。
この会社では、毎年、暑気払いでビアガーデンに行くことになっているのだけど、それがこんなに盛り上がるイベントになるとは。
いつも時短勤務の渡辺さんも、お子さんを旦那さんに任せてビアガーデンに参加できるとのことで、メンバーはさらにテンションが上がっていた。
「山本さんもビアガーデン、行きますよね?」
「え、ああ、はい。行きます」
「やったぁー!」
私が答えると円城寺は、顔をほころばせる。本当にわかりやすく。
ああ、もう。そういうとこだぞ。
そういうとこが、男どもをノックアウトしちゃうんだからな。
なんだかよくわからない思いを抱えつつ、なんだかんだビアガーデンの日を心待ちにしてしまう私が、そこにはいた。
*
仕事があらかた片付き、無事にビアガーデンの日を迎えた当日。
普段の飲み会とは違い、この日は土曜日の昼間から開催された。場所は都心にあるデパートの屋上のスペースだ。
偶然、私の家から一駅先という立地だったけど、こんな場所があったなんて全然知らなかった。
ビアガーデンというからには、名前からしてもう少し空気が綺麗なところのイメージがあったのだけど、都会のど真ん中にあるのだなあと、感心してしまう。私はつくづく、こういう大勢で集まるイベントのことをよく知らないのだと思う。
今日の会場は、バーベキューの設備もついていて、あらかじめセットになって準備されていた食べ物を各自焼いていく。ビールはグラス交換制で自分で取りにいくスタイルだ。
社内の交流会も兼ねているので、基本的に座席は自由で、乾杯が済んだ後は好きに動いていく雰囲気だった。
普段はこういう会、なんとなく気後れしてしまうのだけど、最近は課をまたいでいろいろな人と話す機会があったからか、いつもよりも気が楽だった。
最近のペーパーレス対応の話は、皆が知っているようで、あまり面識のない他の課の人たちまで『山本さん、大変ですね。お疲れさま』などと声をかけてくるくらいだ。
男性社員なんかで、円城寺を紹介してほしそうにしている人もいた。
同じ社内の人間なんだから自分で話しかければいいのになどと思いつつも、なぜかちょっとだけ優越感を感じてしまっている自分がいて。なんだか不思議だった。
「山本さん、ビール持ってきましょうか?」
私が他の社員と話していると、円城寺が声をかけてくる。
「いや、あとで自分で行くからいいよ。グラス交換制だし」
「あ、そっか。そうですね」
わざわざ私にまで気をまわしてくれる円城寺に感謝しつつも、ちょっとだけ心配になる。
さっきから、円城寺、ぜんぜんお肉を食べていない気がする。焼いているだけで。
「円城寺さん、ちゃんと食べてますか?」
思わず、そう話しかけてしまった。
「あ、その、えっと……。わたし、ダイエットしてるんで、大丈夫です!」
円城寺はそう答えるのだけど、どう考えてもこれ以上痩せる必要のなさそうなプロポーションの彼女が、ダイエットしているというのは、なんだか無理があるような気がする。
「ダイエットしなくても、今のままでも充分、スタイルいいとおもうんだけど」
あ、いけない。ついつい脳内の言葉が出てしまった。
しまった、これはセクハラかもしれない、と思って焦る。
だけど、円城寺は。
「え、そんな……山本さんに比べたら、わたし……」
そんなことを言ってきて。
……ああ、もう、なんなんだ。
「ああ、もう。……はい、お肉。せっかく会費払ってるんだから、もったいない。ダイエットは明日からでも別にいいでしょ」
私は押し付けるように、円城寺のお皿に焼き上がったばかりのお肉を乗せる。
「ありがとうございます」
そう言って結局、円城寺はお肉を食べた。それはそれは幸せそうな表情で。
その顔はいつもより、心なしか赤くなっている気がして、なんというか、その。
……いや、なんでもない。
それはきっと、バーベキューの火のせいなんだろう。
なぜならそのとき、私の顔も、熱くてたまらなかったから。
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