第55話

「山本さん、二次会、しませんか? ……二人で」


 ビアガーデンでの飲み放題の時間が終わって、一旦全体の会が解散となったところで、円城寺がそんなことを言ってくる。


 何人かのメンバーで二次会に行こう、なんて話もちらほら出ているなか、わざわざ私だけにそんなことを言ってくるのは、一体なぜなんだろう。


 いつぞやもこんな展開があった気がする。なんだか嫌な予感がした。


「円城寺さん、顔もう赤いじゃないですか。今日は大人しく帰った方が……」


 私がそう言うと、円城寺は途端に顔を歪める。うるうるした、例の子犬のような目でこちらを見つめて。


「山本さん……そんなに、わたしと二人で飲むの、嫌ですか……?」


 そんなふうに言われたら、もうこちらには、選択肢なんてないも同然じゃないか。

 本当に、ずるい、この女は。


「山本さんは、どこかこの辺でいいお店、知ってたりします?」

「ええと……そうですね、ここなんかどうですか?」


 私はスマホの画面を円城寺に見せる。前に一度ひとりで行ったことのある、個室居酒屋だった。自分の家のまわりにはさほどお店がないから、ごくたまに外食をしたいと思った時は、一駅隣のこの駅に来ることが多い。


 前回来た時は、一人で個室を占領してしまって、なんだか気まずかったけれど、今日は円城寺もいるから、なんとなく気が楽だった。それに、ここのお店は創作和食のお店で、ちょっとお洒落であっさりしたメニューも多いから、バーベキュー後の胃袋にも優しいと思うのだ。


 時刻は午後四時半過ぎ。居酒屋に入るには少し早すぎるかとも思ったけれど、お店に向かうとすでに開店していて、ハッピーアワーの割引もやっていたから、ちょうどよかった。


「わあ……ここ、なんだかいい雰囲気ですね。ぜったい美味しい」

「美味しいよ。これなんか、おすすめ」


 あっさり系のおつまみを選ぶ。飲み物はさっきまでビールばかり飲んでいたから、私はひとまずウーロン茶にすることにした。一方、円城寺は甘い系のお酒を選んでいた。


 注文してすぐに飲み物が運ばれてきて、本日二度目の乾杯をする。

 すでになんとなく顔が赤い円城寺がなんだか心配だけれど、本人が大丈夫だって言うのだから仕方ない。

 

「ところで、山本さん」

「はい」


 円城寺が唐突に真面目な顔をして切り出すものだから、私も思わず持っていたウーロン茶を置いて向き合ってしまう。


「このあいだ言ってた水族館デートなんですけど」

「水族館デート? そんな話しましたっけ」

「言ってたじゃないですか~! 江藤って人と行ったって! あれどうなったんですか? 気になるんですけどー!」


 真面目な顔をするから何かと思えば、そんなことを言い始めた。水族館の何がそんなに気になるんだろう。


「はぁ……どうって、魚を観てきたんですけど。あとアシカとかアザラシとか。……ああ、クラゲの水槽が綺麗でした」

「それで、そのあとは?」

「カワウソがお散歩してるところも見れればよかったんですけどね、お休みの日だったんで、それは諦めて家に帰りました」

「家に!?」

「は、はぁ……何か、問題でも?」

「そんなすぐ家になんて……」

「まあいっぱい歩いて二人とも疲れたので」


 話しながら、円城寺はなんだか珍しく不機嫌になっているようで、困惑する。


「円城寺さん、そろそろ帰りません? 顔、赤いし……もう、かなり酔ってるでしょ」


 そう言うのだけど。


「やだ……まだ帰りたくないです。もっと山本さんとお話したい」


 そんなことを言ってくるものだから。


「円城寺さん、ダメですよ。今みたいに酔っ払ってそういうこと、もし男の前で言ったら、お持ち帰りされちゃうんじゃないですかー?」


 つい笑いながら、そう言う。

 すると円城寺は、まっすぐこちらを向いて言った。


「……わたし、いいですよ? 山本さんになら、お持ち帰りされても」


 もう、本当に何言ってんだ。この女は。


 私の家のふかふかベッドを、他人になんか使わせるわけないだろう。

 私の2LDKの快適なお部屋は、私だけのためにあるのだ。何人たりとも立ち入らせてなるものか。


「悪いですけど、私は……」


 そう慌てて言い返そうとしながら、思わずテーブルについた手に、ひんやりとしたものがぶつかる。あ、まずい、と思った瞬間、ガシャッと嫌な音を立てて、目の前のグラスが倒れた。


「うわぁ……ごめんっ」


 慌ててグラスを起こし、おしぼりでテーブルを拭こうとするけど、まだたっぷりと残っていたその液体……円城寺が頼んでいた甘い甘いお酒は、勢いよく飛び散って、円城寺の着ているふわふわの可愛いワンピースを直撃していて。


 円城寺は胸元からびしょ濡れの、見るも哀れな姿になってしまった。濡れたワンピースからは、下着が透けてしまっているし、この状態で外を歩くのは憚られる、というくらいだった。


「……どうしよう」


 こちらを責めるわけでもなく、赤い頬のまま困った顔をしている円城寺を見て、私は覚悟を決めざるを得なくなった。


「うちで、服、乾かしてってください。そのまま家に帰れないでしょう」


 かくして私は、円城寺を自宅にお持ち帰りすることになってしまったのだった。

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