第53話

 江藤と水族館に行った次の週からは、ペーパーレス化の対応をいよいよ本格的に進めていくことになっていた。


 今、情報システム課のメンバーと一緒に進めている顧客管理システムは、各店舗の持っている顧客データを電子化してデータベースに格納し、そのデータをVBAを使ったシステムで管理するというものだ。


 顧客管理システムを使うことで、各店舗での紙の書類が削減され、さらに業務効率化につながる、というわけだ。


 また一方で、経理課の事務業務も同様に、取引先の情報や請求書なんかの帳票類をVBAを使ったツールで管理することで、紙の書類をなくしていくことができる。


 で、問題は。


 まずデータベースに格納するためのデータの準備、つまり紙の書類を電子データにするという作業があるわけなんだけど。


「いや、この人員でやれって、絶対無理でしょ。鬼か」

「わたし、データ入力、自信ないです……」


 私のぼやきに、円城寺も同調する。


 今どき、紙の書類をまとめてスキャンしてOCR処理(手書きの文字を電子データに変換すること)してくれるサービスだって世の中には溢れているというのに。経理課のメンバーまで動員して自前のシステム作らせるような会社なのだ、当然そこで外注するという選択肢はないらしい。


 そういうわけで、これまで紙で管理していた直近10年分の書類から必要なものを、経理課のメンバーで手分けして少しずつデータ化していくということをしなければならないのだった。


「ちゃんと残業代出るんでしょうね?」


 木村さんもプリプリしながら作業に向かう。リーダーの川島さんはそんな木村さんを宥めながら、他のメンバーに役割を振っていった。


 木村さんたちが書類のスキャンやデータ入力をしてくれている間、私と円城寺は情報システム課のメンバーとともにシステムの開発にあたる。経理課の請求書管理だとか、社内用のものに関しては、先日のユーザーテストでみんなに合格をもらっていたから、このあとは各店舗で使用する顧客管理システムのほうに注力することになる。


「そういえばさ、ExcelとAccessって見た目似てるけど、何が違うの?」


 データ入力に飽きてきたらしい黒川さんが、いつもの一口サイズの羊羹を食べながら、そんなことを私に聞いてくる。

 ふつうに自分で答えてもよかったんだけど、なんとなく私は話を円城寺に振ってみた。


「円城寺さん、わかる?」

「はい。ええっと、まずExcelは表計算ソフトで、Accessはデータベース管理ソフトなんです。Excelはシートのセルに直接データを書き込んだり、並べ替えたりできるので、かたちあるものって感じですけど、Accessは見た目は似てるんですけど、表じゃなくてあれはテーブルっていうもので……」


 だいぶ、ゆるふわっとした説明をしているけれど、円城寺はしっかり自分の言葉で黒川さんに伝えていた。

 私のアシスタントになった春先の頃に比べると、ずいぶんと変わったんだなと思う。


 以前は、誰かに自分の業務のことで何か聞かれても、すごく不安そうに答えたり、ひとの顔色をうかがっているようなところがあったから。


 黒川さんは円城寺の説明と、私の補足を聞いて納得してくれたようで、『円城寺さん、すごいね。いろいろ勉強してるんだね』と、円城寺をほめていて。


 円城寺のほうも、まるで主人に褒められて喜ぶ犬みたいに嬉しそうだったものだから。


 なんだか微笑ましく思っていたら、それがつい顔に出てしまったようで。


「山本さん、なに笑ってるんですかー!?」


 円城寺に突っ込まれてしまった。


「いや、なんでもないですー」


 私はまた笑ってごまかす。

 そんなやりとりをしながら、ふと気づいた。ああ、自分も変わったかもしれないな、と。


 以前はこちらのほうこそ、人の顔色をうかがってばかりだった。こんなふうに、同じ課のメンバーと笑いながら話したりできる日が来るなんて、ほんの少し前まで夢にも思わなかったのだから。


 私が変わった理由については、もはや考えるまでもないだろう。


 左隣のゆるふわ女子。定時ダッシュで有名で、仕事ができなくて。

 コピー機の使い方すらまともにわかっていないところも、何かがうまくできた時の犬みたいな表情も。

 くるん、とカールした髪も、人工的な爪の色も、ばっちりのお化粧した顔も、ふわっと香る甘い良い匂いも。


 あんなに厄介に思っていたのに、どうして今は、こんなに。


 ……いや、こんなに、なんなんだ。


 私は、頭の中に浮かびそうになったワードを慌てて打ち消した。


 それを思い浮かべるのは、なんだかいけないことのような気がして。

 

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