第52話

 江藤と待ち合わせをしたのは、土曜日の午後だった。時刻は十四時。

 生まれてこの方、男性とデートなどしたことがないから、この待ち合わせが普通なのかどうなのかも、私にはまるでわからない。


 そもそもまだ会うのが二回目の相手と、どんな話をしたらいいものかも、全くわからない。

 ついつい待ち合わせの三十分も前に到着してしまって、仕方ないので近くのカフェに入ることにした。珈琲を注文して席に着いたけれど、緊張のあまり既に吐きそうだ。


 一体、私は何をやっているのだろう。

 こんなしんどい思いをしてまで、人々はデートというものをするのだろうか?

 それとも、私がコミュ障だからなのか。


 相変わらず、心臓がうるさく鳴っている。

 誰か、助けてくれ、まじで。


 そんなことを思いながら、時間が過ぎるのをひたすら待つ。

 ああ、なんだか頭痛がする。お腹も痛くなってきた。

 このまま帰ってしまおうか。そんなことさえ思う。


 円城寺はいつも、わざわざプライベートでこんなことをしていて疲れないのだろうか。

 これならまだ、木村さんに怒鳴られているほうがマシかもしれない。

 ああ、胃がキリキリ痛む。私は何をしているのだろう。

 


 時間ぴったりに待ち合わせ場所に向かうと、こちらに向かって大きく手を振っている男性がいた。


 なんとなく見たことがあるような気がするから、多分この人が江藤なのだろう。

 そう思って近づいていくと、向こうから声をかけてきた。


「山本さん、お久しぶりです。江藤です。来ていただいて、ありがとうございます!」


 そう言ってニコッと笑った。


「あ、すいません。こちらこそ……よろしくお願いします」


 そう言って会釈する。


 なんとなく目を合わせるのが気恥ずかしく、ついついエントランスのオブジェを見ながら会話をする。


「じゃあ…………行きましょうか!」


 江藤がそう言って、私たちは歩き出した。


 連れられて入った先は、やはり見るからにデートスポットという感じで、男女の二人組ばかり。


 薄暗く、涼しい。そして青い。ガラス張りの向こうにはたくさんの魚が泳いでいる。


 そう、私たちがやって来たここは、水族館なのだった。


 薄暗いせいで、なんだかふわふわとして平衡感覚がおかしくなりそうだった。


「ああ…………すごいですね」


 思わずそんな感想が漏れる。語彙力は0だ。脳が溶けてるんじゃないのか、私は。


「魚、いっぱいいますね」

 

 江藤はそんな言葉を返す。語彙力がないのはあちらも同じのようだった。


 順路に沿って、水槽を見てまわる。水槽の前には、様々な種類の魚の名前や、その生態などの説明書きがあった。


 魚が泳ぐのを眺めつつ説明を読んだり、エリアによって変わる照明の雰囲気にコメントしたりしながら、なんとなくお互いについての話なんかも、ポツポツと話し始める。


「山本さんは、ここ初めてなんでしたっけ」

「あ、はい。江藤さんはこういう場所、よく来るんですか」

「いや、僕も初めてです。……実は、あまり女性とデートしたことがなくて」


 江藤は一瞬水槽の方に目を向けた後、こちらを見る。


「だから、ちょっと緊張しちゃってます」


 そう言って、照れたように笑った。



 …………なんだ、そうなのか。


 その言葉を聞いて、少しだけホッとする。もしかしたら、この人も私と同じ、コミュ障仲間なのかもしれない。

 そう思ったら急に親近感が湧いて、緊張が解けていった。


 そのあとは、ペンギンの餌やりだとか、アシカのショーなんかを見たり、少し疲れたら館内のカフェで休んで話をしたりした。

 デート経験の全くない私にとってそれはなんだか新鮮で、なんとなくこういうのも悪くないな、などと思う。


 夕方になって、お互い疲れてきた頃、そろそろお土産物屋さんに寄って帰ろうかという話になった。

 お土産コーナーには定番のクッキーやお煎餅なんかの缶や、魚のぬいぐるみなんかもあった。


 小さい子供が、アザラシのぬいぐるみが欲しいと言ってダダをこねたり、高校生と思しきカップルがお揃いのキーホルダーを買ったりしているのを横目で見ながら、せっかく来たのだから何か買おうかと店内をうろうろする。


 江藤がチンアナゴのキーホルダーを買おうか悩んでいる隣で、ふと可愛らしいものが目に入ってきた。


 思わず、誰かを思い出す。

 くりっとした目の、愛嬌のある顔立ち。思わず頭を撫でてしまいたくなるような。


「山本さん、その子、買うんですか?」


 江藤が私の視線に気づいてそう声をかけてくるけど。


「いえ、私は大丈夫です」


 そう言って、背中を向ける。

 さすがに、三千円もするそれを、いい歳した大人が買うのもなんだか恥ずかしくて。


 でもついつい、連れて帰りたくなるような、後ろ髪を引かれるような思いになってしまう、それは。


 どこぞの、ゆるふわっとした女を思い出させる、それはそれは可愛らしい、カワウソのぬいぐるみだった。


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