7. ゆるふわと知ってる天井
第51話
薄暗い閉鎖空間に、ゆらめく青色の光。
目の前にいる人間は、こちらを見て優しく微笑むけれど、私はどんな顔をしてそれに応えればいいかわからない。
平衡感覚を奪われて、脳を溶かされて。
さて、どうしてこんなことになっているのだろう、と、私は密かに思いを巡らせた。
*
遡ること一週間前。それはある日の終業後。いつもの残業を終えてからスマホを開いてみれば、見慣れぬ相手からのメッセージが届いていた。
差出人の名前は、江藤、と書いてある。
さて、そんな知り合いいただろうか。さては最近流行りの詐欺メッセージか、開いたら負けだと思いつつも、プレビューで『山本さん、お久しぶりです』という文字列が一瞬見えて、消去するのを思いとどまったその数秒で、思い出した。
ああ、このあいだ円城寺と行った合コンに、そんな名前の男がいた気がする。
もう顔も思い出せないけれど、確かあのメンバーの中では比較的おとなしそうな人で、少しだけ世間話をしたような気がする。
いや、何を話したのか全く思い出せないけど。
名前は偶然の一致かもしれないけれど、もしも会ったことがある人だったら、未読無視というのもなんだか気が引けるし、それになにかでトラブルになって円城寺に迷惑がかかってしまっても申し訳ない。
そんなことを思いながらメッセージを開くと、以下のような文面だった。
『山本さん、お久しぶりです。
以前、合コンでお会いした江藤です。
先日はありがとうございました。
先週まで忙しかったのですが、少し落ち着いたので連絡してみました。
山本さんはお元気にしていますか?
もしよかったら今度またお会いしたいのですが、ご予定いかがでしょうか?』
今どき珍しい長文メッセージだな、というのは、友人の少ない私でもなんとなくわかる。おそらく真面目なタイプの人間なのだろう。
しかし、困った。
こんなメッセージをもらっても、どう返答したらいいのか、まるで見当もつかない。
さすが、恋愛経験皆無の私である。
こんなとき、円城寺ならなんて返すのだろう。
ふと、そんなことが頭をよぎる。
相談してみてもよかったのだけど、先日のカフェでの、円城寺の言葉が蘇る。
『山本さんには、内緒です』
話題が恋愛方面の話になったかと思えば、そんなことを言うのだ。円城寺の考えていることはまるでわからないけれど、その言葉を思い出すと、なんとなく彼女に恋愛相談をするのは癪な気がしてしまう。
なんの意地なのか、わからないけれど。
そもそも、いくら中学生以下レベルに恋愛経験がないといっても、私も二十六歳の、いい歳をした大人の女なのだから、これしきの試練、一人で乗り越えられなくてどうする。
そんなことを思って、気持ちを奮い立たせる。
一文字一文字、入力する。会いたいと言われれば、特に断る理由もないし。
だけど、ああ、情けない。これしきのことでも、私の心臓は妙にうるさく鳴っている。
しかしこれが、いわゆる恋愛のときめきなんかではないだろうことは、いくら私でもわかる。これは私がコミュ障ゆえの、いつもの緊張だ。
誰が相手でも、こうなる。
そんなことを考えて返信をしながら、ふと思う。ああ、それなら、と。
あのとき感じたドキドキだって、きっとそうなのだ。
あのとき円城寺相手に感じたそれだって、きっと。
だから、何も気にすることはないんだ。
コミュ障の私は、誰が相手でも、プライベートのやりとりをすることに緊張して、いちいち動揺してしまうだけなのだ、と。
私の返信から数分後に、江藤からメッセージが返ってきた。
『もしよかったら…………』
会う場所の提案が送られてくる。そこは私が今まで行ったことがない場所だった。
円城寺ならきっと、何度も行ったことがあるに違いない。そこは、都内では有名なデートスポットだったから。
きっと彼女なら、いつもの可愛いパステルカラーの服で、気合を入れて行くのだろう。きっといい匂いの香水なんかも付けていくのだろう。
……私も円城寺のように、少しでも女らしくしたほうがいいのだろうか?
日程を決め、江藤と約束をしながら、頭をよぎるのは、そんなことばかりだった。
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