第73話

「その……昨日のことなんですけど」


 山本さんは、ときどき目を逸らしながら話し始める。

 そこで、わたしは今更になって思い出した。


 そうだ、昨日。わたしは酔った勢いで、山本さんに告白してしまったんだ。


 しかもそのあと、山本さんのベッドを占領して眠ってしまって。それで。


 うっすら覚えている。


 夜中に、会話をしたこと。

 山本さんは、江藤さんの告白を断ったって言っていた。それで、それから……。


「あの、円城寺さん、ごめんなさい!」


 山本さんはそう言って、唐突に頭を下げる。


「え、ええっと……何がですか?」


 わたしがびっくりしていると、山本さんは続けて言う。


「昨日の夜……その、抱きついてしまったこと、です」

「え、あ、ああ……」


 そう言われて、もう、頭の中が真っ白になる。そうだ、夜中に、江藤さんの件を話して、そのあと。


『江藤さんからの告白は、さっきちゃんとお断りしました。だから……』


 山本さんは、そんなことを言って。


『こうしても、ずるくはない、でしょうか……?』


 そんなことを言って、わたしを抱きしめたのだった。


 ……ああ、もう、恥ずかしすぎて、顔から火が出てしまいそう。

 思い出したら、身体もどこもかしこも、熱くなってきてしまう。のだけど。


「あれは、その、酔ってて。勢いというか、その……」


 山本さんはそんなふうに、言い訳がましく言う。


「勢いって……?」


 ちょっと、何を言っているか、わからなくて。


「円城寺さんが、その、可愛かったから、つい……」


 ああ、可愛いって、可愛いって言った! もう!


 ……でも、多分、山本さんが言いたいのはそういうことじゃ、ないんだろう。


「えっと、その、つまり……。山本さんは、わたしのことを好きで、抱きしめてくれたわけじゃないって、ことですか……?」


 そんなの、わかっていたことだけど。


「いや、その。別に好きじゃないわけじゃないんですけど。ただ、私は、『好き』って言うのがどういうことか、わからなくて……」


 申し訳なさそうに、もじもじしながら、山本さんはそんなことを言う。


「自分でもどうしたらいいか、よくわからないんです。だから……」


 わたしは、唾をごくりと飲みこんで。次の言葉を待つ。


「お返事、保留にさせて、もらえないでしょうか……?」


 ……ああ、そっか、そうだよね。


 抱きしめてもらって、つい浮かれてしまっていたけど。山本さんはただ、わたしの告白にびっくりしていただけなんだ。


 女同士なわけだし、山本さんはきっと、女の人が好きな女の人というわけじゃないんだろうし、だとしたらそれは、急に受け入れられるものでもなかっただろうし。


「わかりました」


 わたしは、そう答えるしかなくて。


 涙がこぼれそうになるのを、必死で堪えた。


 保留、なんて言ってくれたけど、はっきりと振られたわけではないけれど。きっとダメなんだろうなって思ったら、胸がきゅうってなって、苦しくて。


「あの……、わたし、もう帰りますね。朝ごはん、ごちそうさまでした。美味しかったです」


 泣いて困らせちゃったら、きっと、これから会社で、もっと気まずくなってしまう。


 ただでさえ、山本さんに迷惑ばかりかけているのに、こんなことでも煩わせてしまうのは、本当に心苦しくて。


 だからせめて、去り際くらいは、面倒臭い女にならないように。


 わたしは急いで服を着替え、荷物をまとめて、山本さんの家をあとにしたのだった。

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