第20話
「ちょっと、失礼しますね」
給湯器の前を空けてもらう。彼女たちはやっと、私の存在に気付いたというように、おしゃべりを止めた。
給湯器からドリッパーに直にお湯を入れる。ああ、気まずい。
ドリップじゃなくて、インスタントコーヒーのほうにしておけばよかった。しくじった。
そう思っていたら、やっぱり三人組に話しかけられた。
「ねー、山本さんも困ってるよね、円城寺さんのこと」
「えっと……」
「ほら、最近、山本さんのアシスタントもするようになったんでしょ? 円城寺さん、仕事できないし、なんか大変そうだなって」
言葉とは裏腹にずいぶんと楽しそうな物言いだった。
「円城寺さん、ほんと仕事できないから……。山本さん、がんばってね」
「は、はい」
反応に困りながらもとりあえず返事をしておく。無用なトラブルは避けたい。
すると、ちょうど部屋の外から円城寺の声が聞こえてきた。
「課長も珈琲飲みます? ついでに淹れてきますよ~」
いつものゆるふわボイス。空気の混ざるような高い声。舌ったらずな喋り方をしているわけではないけど、この声の高さと見た目の印象のせいで、男に媚びていると言われてしまうのだろう。
円城寺の声に気づいて、三人組はさすがにそれ以上は何も言わなくなった。
そして円城寺と入れ替わりに、給湯室を出ていく。
「あ、円城寺さんお疲れー」
「あ、みなさん、おつかれさまです~」
「円城寺さんってほんと偉いよね。課長のぶんまでわざわざ淹れてあげるなんて」
「いえ、そんな……ついでなので」
「セクハラされないように気をつけなよー」
けらけらと笑いながらそう言う彼女たちの言葉には、棘があるけど、円城寺ははたして、気づいているのだろうか。
あとには、珈琲の抽出を待つ私と円城寺だけが、残された。
これはこれで、なんだか気まずい気もする。
なんでだろう。普段だって隣にいるのに。
ここが、狭いスペースだからなんだろうか。……だから、なんだって言うんだ、もう。
「山本さん、お疲れ様です。あ、珈琲なら、私が淹れておくので、今度から言ってくださいね?」
円城寺はそう言って、にっこり笑う。
ああ、そうか。当たり前だけど、円城寺はなにも男性社員だけにこういう対応をしているわけではない。多分忙しそうな人を見分けて、気遣っているだけなんだろう。
「ありがとう。でも、自分の分は自分でやるから大丈夫。これも結構、気分転換になるんだ」
私はそう返事をする。これは本当のことだった。
「ああーわかります。私も繰り返し作業してると疲れてしまって……。サボってるつもりはないんですけど、香りも好きだし、珈琲淹れるの好きなんですよ!」
円城寺はそう言って、また、にこっと笑った。
その笑顔に思わず、ドキッとする。
「でも、ほんと偉いと思うよ。みんなのこと気にかけてて」
「そんなことないですよ……。わたし、よくわからないんですけど、お給料の高い方が珈琲淹れてる時間分て、なんかもったいないと思ってしまって。あと、ここも混雑しちゃうので、わたしがやるのが一番効率いいと思うんですよね」
円城寺はそう言う。そんなことまで考えていたなんて、知らなかった。
自分はお茶くみが嫌いと思うほど、そもそもその仕事をやったことがないし、それをわざわざ一部の女子社員にさせるべきじゃない、とかいう主張にもあまり興味がなかったのだけど。
なんとなく漠然と、みんな自分が飲む分くらい、自分でやったほうがいいと思っていたくらいだけど、確かにそうなると、円城寺の言うとおりこの給湯室は混雑してしまうだろうし、ここにお偉いさん方が出入りするとなったら、居心地もさぞ悪くなることだろう。
確かにそれも、一つの考え方だ。
恥ずかしながら私は、円城寺に言われて初めて、そのことに気づいたのだった。
だけど、と、ふと思う。
円城寺の考えに沿えば、単価の高い仕事をしている誰かのために珈琲を淹れるのも、きっと大事な仕事だ。
単価の高い誰かのために大量のコピーをとるのも、その結果生まれた大量の紙の書類を処理するのも、大事な仕事なんだろう。だってそれは、円城寺の仕事なのだから。
でも、そんな円城寺は、自分の単価のほうは、上げなくていいんだろうか。
私はそんなことを、ふと思ってしまったのだった。
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