第76話
なんとか残業を終える頃には21時になっていた。いつもの通り川島さんに挨拶をして帰ろうとするところで、情報システム課の斉藤さんがわたしと同じ方面らしいことがわかって、途中まで一緒に帰ることにしたのだけど。
しかし、困った。話題がない。
ひとのいるところであんまり仕事の話をするものじゃないし、お互いさっきまで残業していたわけで、疲れ切った頭でそんな話したくもないだろうし。
そんなことを考えていると、斉藤さんのほうから話を振ってくれた。
「円城寺さんて、休みの日とか何してるんですか?」
「ええと、わたしは……」
あれ、わたし、最近休みの日に何してるっけ?
改めて訊かれると、何もないような。
……ああ、そうだ。
ここのところ山本さんと残業ばかりしていたから、休日は疲れ切って寝てばかりだったんだ。
「特に何もなくて。最近は疲れてずっと寝ちゃってます」
「なんか意外ですね。デートとかいっぱいしてそうなイメージあったから」
確かに、前は合コンとか、合コンで出会った人とデートとか、いろいろしていたけど、最近はそんなことをするはずもなく。
わたしの日常は、いつのまにか山本さんでいっぱいだった。
「デートする相手なんていないですよ。……わたし、片想いしてばっかりだし。嫌になっちゃいます」
気づけばそんなことを斉藤さんに愚痴ってしまう。
あ、これ、もしかして、よくないやつかな?
確か、男の人に恋愛相談なんてしたら、口説くチャンスだとか思われちゃうよって、前に紗香ちゃんが言ってた気がする。
ちょっとだけ焦っていると、斉藤さんからは意外な反応が返ってきた。
「片想いですか……辛いですよね、わかります」
斉藤さんはちょっとだけ遠くを見つめて、何かに想いを馳せているようだった。
「僕は振られたとき、よく水族館に行くんですよ」
「えっ、水族館? ひとりで、ですか?」
「はい。親子連れとかね、カップルとか多くて、最初は凹みそうだなって思ってたんですけど、意外と楽しくて。何もないときにマグロの大水槽とか見てると癒されますよ」
マグロ、か。なんかお寿司が食べたくなってくるような。
いや、そうじゃなくて。
「マグロってほら、止まると死んじゃうとか言うじゃないですか。だから寝てるときもずっと泳ぎ続けてるらしいんですよね」
「それは大変ですね……」
「でしょ。だからこう、それに比べれば僕らがちょっと寝れないくらい、なんてことないなって……ははは」
斉藤さんの楽しみ方が一般的かどうかは置いておいて。いいなあ、水族館、癒されそうだなあ、なんて思った。いつぞやの山本さんの水族館デートの話を聞いてから、実はずっと気になってはいたんだけど、ますます行きたくなってしまったじゃないか。
「あ、もしよかったら、これ」
斉藤さんはカバンをごそごそとあさって、小さな紙切れを取り出した。
「水族館のチケット、こないだ買い物してたらもらったんで、あげますよ。2枚あるから……好きな人、誘ってみたらどうですか」
「え、でも、斉藤さんも水族館行くんじゃ……」
思わぬ展開に驚いていると、斉藤さんは定期入れの中から名刺サイズのカードを取り出す。それを自慢げにわたしに見せながら、笑顔で言った。
「僕、年パス持ってるんで」
そんな。強すぎるでしょ……。
若干引きながらも、わたしはチケットを2枚、受けとってお礼を言う。
「ありがとうございます!!」
この戦いが終わったら、山本さんを誘おう。
そしてお疲れの山本さんと一緒にマグロを見て、癒されるんだ。
そんなことを決意するのだった。
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