第7話

 お茶くみの仕事を終えて、円城寺はやっと自席に戻ってきた。木村さんの指示でその後は時間いっぱい、みんなの作ったデータの確認作業をするようで、黙って画面と書類の山を交互に眺めていた。


 終業のチャイムが鳴るなり、円城寺は立ち上がる。


「お先に失礼します!」


 そう言って颯爽と帰って行った。


 いつもの定時ダッシュだ。他のメンバーが残業をしているなか、こういう、全然空気を読まないところは逆に感心してしまうくらいだった。


 経理課のメンバーはもう何も言わない。いつもの光景だし、一応頼まれた分の仕事はこなしてから帰っているから。


 だけど、お隣の総務課の若い女子達が話している声が、こちらにまで届く。


「うわ、また定時ダッシュだー」

「円城寺さん、今日も合コンなんだって」

「え、まじで? ほんと、男好きだよね」


 誰かと思えば、普段、円城寺と一緒にランチに行っているメンバーの声だ。ああやって、仲良くしているように見えて、裏では悪口放題なのか。恐ろしい。


「焦りすぎ」

「玉の輿でも狙ってるんじゃないの?」

「あれだけ仕事できないんだし、どうせ腰掛けだよね」


 うんざりした気持ちのまま作業を進めた。でも、こんなことを気にする前に、私はさっきのツールのバグの修正をしなければならないのだ。


 私が作業をしている間に、他のみんなもだらだらとしゃべりながら帰宅し始める。円城寺のことを言いながらも、別に彼女たちも大して仕事があるわけではなさそうだった。


 私の方はまだまだやることが山積みだった。今日も結構遅くまで残ることにになりそうだったから、リーダーの川島さんに今のうちに声をかけておく。正直、もうちょっとだけ人手が欲しいな、なんて思う。


 私の仕事はプログラミングをするということもあって、同じ課の中で頼れる人はほとんどいない。川島さんだけはほんの少し勉強しているみたいだったけど、失礼ながら、あまり戦力として期待できる雰囲気ではなさそうだ。


 結局、今日も二十時過ぎまで作業をしていた。前職と比べると全然マシだけど、それゆえに前の会社での癖が抜けなくて、ちょいちょい残業をしてしまう癖がある。別にわざと仕事を引き延ばしているわけではなくて、昼間は色々な人に頼まれることがあるから、結局定時を過ぎるまで自分の仕事がなかなかできないという事情もあった。


 淡々と作業を進めて、キリの良いところまで行って終わりにするころには、肩がガチガチになっていた。それから腰が痛い。目がしぱしぱする。一日中座りっぱなし、画面を見っぱなしだから、負担がかかっている。


 ぐーっと伸びをして立ち上がり、肩をぽんぽんと叩いているところへ、川島さんと課長がやってきた。


「山本さん、そろそろ終わり?」

「はい、一応。……まあ、まだ残ってますけどね」

「そうか、お疲れ様。ところで、山本さん、アシスタント欲しくない?」


 課長が唐突に、そんなことを言う。そんなの、答えは決まっている。


「……正直、欲しいです」

「だよね。じゃあ、決まりだ」

「何がです?」


 課長は川島さんと顔を見合わせて、にやりと笑う。


「来週から、円城寺さんに、山本さんのアシスタントに入ってもらうから。よろしくね」

「え……」


 突然の提案に固まる。いや、確かにアシスタントが欲しいと日頃から思ってはいたけれど、それにしたって人選というものがあるだろう。


「そんな……でも、メンバー減らしたら、木村さんたち、困るんじゃないですか?」

「そこは、さっき話してきたから大丈夫。とりあえず円城寺さんには、今の仕事と兼任でやってもらうことにしたから」


 川島さんまで、そんなことを言う。でも、わかる。これは何を言っても無駄なんだ。多分、円城寺は今、厄介払いされるところなんだ。そしてその犠牲者が、私ということなのだろう。


「もうすぐ電子化対応もあるし、山本さんのほうは仕事が増える一方でしょ。山本さん、猫の手も借りたいって言ってたじゃない」

「まあ……それはそうですけど」


 確かに、猫の手も借りたいというのは事実だ。だけど……。

 円城寺は本当に猫以下……いや、さすがにそこまで言ったら失礼か。

 

 猫耳コスプレとかなら似合いそうなんだけど……いやいや、私は何を考えているんだ。


 私が現実逃避にくだらないことを考えているあいだに、課長は続ける。


「円城寺さんもそろそろ、他の仕事も覚えてもらいたいし。そういうわけで、長い目で面倒見てやってよ。よろしくね」


 結局そう言われて押し切られてしまう。


 なんということだ。


 私は頭を抱えたまま、会社を後にしたのだった。






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