第161話

取り壊しを見て失神してから三日間ほど、父はストレス起因の発熱や頻脈で寝込んでいた。食欲もあまりなく、以前母を亡くした悲しみから拒食になったときに似ており、ヨハンも心配し、医師であるカザリンの判断次第ではイギリスの病院を受診させようと思っていた。

ヨハンとしては、すぐに病院に行かせたいと思っていたが、カザリンの意見は違っていた。


リチャードがヨハンに迷惑をかけるのを嫌がり、簡単には同意しないであろうことや、少量だが粥は口にしていて吐いてもいないことがあり、カザリンは、今はリチャード自身の心身の力での回復を待つべきだと言う意見だった。なので、ヨハンはカザリンとも相談しつつ、父の反応を見ながら、アルバムを使って父に亡くなった家族との良い記憶を思い出させたり、自分やカザリンが今は側にいることを実感させようと取り組んでいた。


「、、ヨハン、ヨハン。風邪ひいてしまうよ。きちんとベッドで寝ないと。」


ヨハンは、父の声で目覚める。

父が体調を崩してからは、心配で部屋を移り、この部屋は父とカザリン2人用のベッドしかなかったが、ソファーベッドを使い自分も同室に泊まっていた。しかし、昨晩は父が悪夢を見て夜中に泣きながら目覚めてカザリンとヨハンで励まして、それからヨハンは目が冴えてしまい、大学の課題をパソコンで確認しながら窓際のテーブルに突っ伏し、寝落ちてしまったらしい。


「!!父さん!!、、もう熱は?頻脈はないの?だめだよ、ゆっくりしないと、」


「、、もう平熱だよ。脈も大丈夫、、。

、、心配かけてごめんな。、、お前とカザリンのおかげで、色々気持ちを整理できた。

特に、お前は私の唯一血が繋がった家族だから、私を指摘してくれる嫌な役回りをさせてしまった。、、カザリンに優しくしてもらうだけじゃ気がつけなかった。


何よりも、、本当に、本当にごめん。、、私にはもう帰る場所がないなんて言って。

私にはお前も、、、カザリンも、、楽団の皆もいるのに。

そのロケットペンダント譲ったとき、私はもう1人じゃないって自分で言ったのに、、家が取り壊されたくらいで何にも見えなくなって忘れてさ。。

、、今回もこれまでも、いつも有難う、ヨハン。」


父は、体温計をテーブルに置いて見せる。父の平熱になっている。それから、ヨハンの首から下げられ、トレーナーの中に普段は入れられているロケットペンダントを片手で手に取り、赤ん坊の自分を抱く母と、若い父の写真を見つめてからまたヨハンに目を合わせ、申し訳なさそうに礼を述べたり、謝った。


カザリンはまだ父の隣のベッドで深く眠っている。


「悪夢は、、?もう不安にはならない?あんなに父さんが泣くのは初めて見てびっくりした。」


「言い辛いが、、」

父は、ヨハンが訊ねると、目を合わせずに窓の外を見ながら、向かいの席に座った。


「お前とカザリンが去って行く夢を見た。

お前たち2人を天使が招いていた。私はそちらに行けなくてどんどん遠ざかって。。お前もカザリンも私に来るなって言う。。、、それで寂しいと思っていたら、いきなり場面が変わり、お前やカザリンが血色のない顔で眠るように目を閉じて棺にいるんだ、、葬式の様子で間違いない、、」


「、、僕は父さんより先に逝ったりしない。絶対に。そんなことしたらまた父さんに殴られる。。あれが父さんに殴られた最初で最後だけどめちゃくちゃ痛かったよ。」

ヨハンは、自分が3年ほど前、自殺未遂したとき、父に本気で頬を殴られたのを思い出しながら話す。


「、、当たり前だろ。お前の方がずっと後に生まれてるのに先に逝くなんて理不尽すぎる。

、、でもさ、今朝実は少し早く目覚めて、夢のことや今回のこと、お前やカザリンがかけてくれた言葉を考えていた。

、、理不尽はこれからだってきっとある。

、、、カザリンや他が言っていたように、私には家族の死を弔ってる時間もあまりなかったが、それだけじゃなく、私自身が度重なる死に耐えられなくてきちんと弔うことから逃げていた。

、、、その上、ヴァイオリンでは上手くやってきたからって、自分がしっかりすれば家族や友人や他を、死の気配から遠ざけられるなんて勘違いしていた。

、、、そもそも自分がしっかりすれば、って、、理性でしっかりできるんならこんなことになってない。自分も周りも弱さがあって、、生死や運命なんて私がどうこうできない。頑張っても明るい未来じゃないかもしれない。。


、、だからこそ、、先がわからないからこそ、記憶にある暖かい思い出だけはなくしちゃいけないと思ったよ。家が壊れようとその人が亡くなろうと。

そして、、過ぎ去った巻き戻らない時間を気にして、今、目の前にあることを見れないんじゃ意味がなくて。

演奏ではいくら前の小節でしくろうと、切り替えられるのにな。。人生ではできなかったみたいだ。、、でもこれから練習してみるよ。」


父は、窓の外の、通勤などで行き交う人や車を見ながら穏やかな表情で語る。


「、、ほんと、ヴァイオリン以外はダメダメだよねえ。良い年してるんだからしっかりしてよ。もう介護なんてお断りだからな。」


ヨハンは冗談で返してしんみりした空気を払いつつ、伸びをしてからパソコンを閉じ、ソファーベッドに座るべく立ち上がったが、父もゆっくり立ち上がり、今は父より2センチ背が高いヨハンに視線を上げた。


「?どうかした?」


「、、ヴァイオリンやるの、お前をそれで傷つけたらと思って、始める時も、再開する時も反対して悪かったよ。

、、、思う通りにこれからはやってごらん。

、、、困ったり、また折れそうな時は必ず力になるから。」


「!!、、え、、お、驚いたな。。

急にどうしたんだよ?」


ヨハンは何かとヴァイオリンの再開に関しては良い顔をしなかった父の変わり方に動揺して苦笑いする。


「、、過去のお前のことばかり気にして今のお前を見ないのは違うと思ったんだよ。さっき言っただろ、私もこれからは先を見る練習して行くって、、。

、、それに、、今回はその、、まあ、、お前に、、一本取られたからな。。」


父は最後の一言はあまり言いたくないのかヨハンから離れ、小声で言う。


「おっ!!何何?もっときちんと言ってよ。僕が立派になって父さんが負けたって?

身長も僕に負けてるもんね〜?」


ヨハンは聴き取れてやっと父に認められたと嬉しくなって父に近づき、再度言うように催促した。


「身長はたった2センチだろ、こんなの髪の分の誤差じゃないか!」


「え、父さんが天パーなんだから髪の高さなら父さんのほうがあるだろ。身長の差だよ。」

ヨハンは、父の頭のてっぺんのパーマした黒い毛を指でピンピンと弾く。


「減らず口だな本当に。。」

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