第150話

カザリンは、ヨハンのリチャードの微笑みに関する見解を聞き、リチャードの言う通りヨハンが非常に聡いことに感銘を受けた。ヨハンが本心で微笑むことができたリチャードを最後に見たのは、彼が2歳ごろの時のはずだ。物心がつく前の記憶をきちんと覚えている人間は、精神科医であるカザリンの経験から言っても少ない。それこそトラウマ体験であれば別だが、ヨハンが覚えているのは家族三人で最も幸せだった時の記憶だ。これだけ記憶力がよく、聡明な彼は、繊細で良くも悪くも情が深いリチャードを不安定にしないよう、先回りして対応してきたことだろう。そんなこの青年が、ヴァイオリンに挫折して心に限界が来て、自殺未遂をした際に担当していた医師は、カザリンの務める大学病院の同僚なのだが、彼からもヨハンの知能指数が分野まんべんなく高いことや、年からするとかなり大人びていることを聞いていた。それはこの話の内容だと、後天的に始まったわけではなく生まれつきのようだ。


治療にあたり、リチャードの心理や知能の検査もしたのだが、リチャードが特定分野の指数が非常に高い半面、その他は平均的だったのに対し、ヨハンはとびぬけ方がリチャードほど顕著ではないが、どの分野もかなり優秀な部類に入る、とは聞いている。野次馬根性から検査結果を聞いたわけではなく、ヨハンの治療はリチャードの治療に影響し、ヨハンにとってのリチャードも同様だから、ヨハンの担当医と情報共有を行っていた。でも、リチャードともしこの先ずっと付き合い、パートナーになるならば、ヨハンのこともカザリンは理解する必要があり、知っておいて幸運だった気はする。

いや、理解する必要があるというよりも、カザリンにとって日に日に心を占めるようになったリチャードの何より大切にしている存在であり、聡明さが際立つとはいえ一人の悩める青年で、その誠実さや一途な懸命さに目を離せなくなるヨハンの力に、自分もなって行きたい。ヨハン個人も魅力的な青年なのだが、誠実さや危なっかしい繊細さはリチャードと重なるのもカザリンの母性本能をくすぐるのかもしれない。

それだけでななく、自分は子どもを産むことができないから、ヨハンの世話を焼きたくなるのもあるだろう。

医者の仕事はずっとやりがいを感じていて、使命感から打ち込んできたが、家族がほしい、子どもが欲しいという気持ちはずっと持ってきた。産むことができないというよりも、適齢期はとうに過ぎてしまったし、インターンをしていた際にふとした出来事から男性と行為を行うことが恐怖になってしまったので、産むことは現実的に難しいというのが正しいが。


一時期は男性に話しかけられることすら恐ろしかった時期もある。触れられるのは今でも少し怖いのだが、こちらはリチャードとの交流を通じて慣れてきた。リチャードはカザリンが詳しく話さなくても察して、自ら触れてくることは一度たりともなかったが、父親以外や同僚以外の男性と長時間、複数回会って話せるようになったのは、リチャードのそのような配慮ある態度のおかげだ。最近は、リチャードに自分から手をつなぎたいと申し出たりもしてみて、だんだんに触れ合うことができている。23歳のときのあの出来事以来、初めて男性とまともに恋仲になり、触れ合うことができた。リチャードが若い時に何人もの女性と恋仲だったことや、有名なヴァイオリニストに対しひどい振り方をして精神が壊れるほどに傷つけ、彼女を再起不能にした罪も知っている。

罪については本人から付き合うときにも、治療中のカウンセリングでも聞いた。カウンセリング中に聞いた際には、正直リチャードを患者から外そうかと悩んだくらい嫌悪感を感じた。

それでも、カザリンは今のリチャードは信頼している。誰よりも彼の力になりたいと考えている。人は人との関わり合いで変わることができる。

カザリンはそう信じている。



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