第9話 鷲の囀り

今日から数日間のリハーサルやコンサートのコンマスは、ソロ•コンマスのレイノルズではなく、コンマスのヴィオレッタだ。団員の意見もよく聞いて取り入れるとは言え、20年ほどソリストとしての輝かしいキャリアがあった上で、ソロ•コンマスになったソリスト気質のレイノルズと、あくまでオケのコンマスとして優秀なヴィオレッタの弾き方は異なる。


レイノルズは本人が意識しようがしまいが、その卓越した技術も主張の強い音楽性も目立ち、そのカリスマ性や圧倒的な演奏で団員たちを付き従えてしまい、自然と弦楽器全体がレイノルズに合わせた演奏になる。また、交響曲中のヴァイオリン•ソロはコンマスが担うが、やはりソリスト上がりなのでレイノルズが弾くとまるでコンチェルトのようになってしまう。

一方、ヴィオレッタはソロを弾くにも楽団や指揮者とバランスを取り、技術面は完璧だが独自の表現は抑えめな優等生な演奏で、コンマスをするにも他のパートや周りを巻き込むレイノルズとは違い、周りの化学反応を見てバランス良くなるようにコントロールする形だ。

レイノルズもコントロール力はあるのだが、やはりコントロール力に関してはヴァオレッタが秀でており、そのためプログラムによってコンマスは変わる。


ソロ•コンマスとコンマス、そしてハンスが担う、実質的には第一ヴァイオリンの副首席に当たる副コンマスは、同じ楽団にいても他のヴァイオリン奏者とは別格だ。

序列や給与面はソロ•コンマス、コンマス、副首席の順だが、ソロ•コンマスとコンマスは多少の差なので個人の演奏タイプで分かれている。そのように分かれているのは、コンマスは負担が大きいためで、プログラム内容により、レイノルズとヴィオレッタが事務局の調整で交代している。

多くのプロオケは、第一ヴァイオリンの首席かつ楽団の演奏面の長であるコンマスはこのように2〜3名置き、またそれ以外のパートの首席も2名ずつ置いて交代制を取る。


「ハンス、ちょっと良い?」

ハンスが、ヴィオレッタとレイノルズのボウイングや指示が、同じ曲でもかなり違うのを実感しながら自分の練習用楽譜にメモしていると、リハーサル後でヴァイオリンを片付けているヴィオレッタに声をかけられる。


「はい!なんでしょう?」

ハンスは手を止め、顔を上げる。


「メモしてくれてたのね。メモしながらで良いからさ。

、、リックがね、ちょっと急で有給連休を延ばして、今週いっぱい有給にするんだって。だから今週はよろしくね?」


「そうなんですか!

わかりました。こちらこそ宜しくお願いします。、、でも、レイノルズさんが休みを延ばすなんて珍しいですね。もともとはイギリスのご実家に帰られてるって聞いてましたけど。毎年この時期に帰るけど数日間だけどなあ。丈夫な人だし風邪ではないですよね?」


「そうね。友達なんかと話したりするんじゃないかな?彼は社交的な人だしね。

忙しくてあまり故郷に帰らないし、積もる話もあるかもね?体調は元気そうだったわ。電話で話したけど。」


ヴィオレッタは、ハンスが体調でも悪いのかリチャードを心配するのを見て、微笑んで答える。


(ハンスは素直で優しい。

、、それに、リックもハンスの才能を評価して目をかけている。それは色々日頃教えていたりして様子を見ても明らか。

、、でもだからこそ、伝えられないわね。

リックが、ジャニスに会うために休みを延ばしたのは。、、先生の門下生だったときから、リックはなんでもすらすら弾けて、音楽のことならなんでも知っていて、数歳下なのに小さい時から目上と互角に渡り合って世界に認められて、羨ましかったし眩しかった。私が小さな翼しかない小鳥なら、リックは上空を旅してそんな小鳥を見下ろす鷲、、。だからあんなに動揺した電話をされて頼られてびっくりした。ハンスに絶対に知られないようにしなきゃ。)


「?どうかしましたか?」

ハンスはヴィオレッタの視線に気が付き、訊ねるので、ヴィオレッタは我にかえり苦笑いする。


「、、いや、リックとだいぶ指示が違うからメモも大変かなあと思ってね。わかりづらいところはないかしら。」


ヴィオレッタは、焦茶のセミロングのウェーブした髪をかき上げてから、ハンスのメモを覗き込む。

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