2章 時の踊り
第8話 若鳥
リチャードは、演奏会旅行でブリュッセルからベルリンまで帰る列車で向かう際に、隣の席でリラックスして眠る若手の副コンマスであるハンスを見つめた。
ハンスはリチャードより10歳年下で24歳と若いが、楽団の歴史の中でも最年少ではないものの、それに近い年で副コンマスのオーディションに受かった逸材だ。世界でもトップクラスの楽団であるこの楽団でコンマス、副コンマス、首席奏者になれるのは何千と言う応募の中の一人だけで、その何千も猛者ばかり。
その中でハンスはオーディションの時から不思議なほど覇気が無く、履歴書にはコンクール歴もあまり無かった、まさに無いないづくしの第一印象だった。有名な音楽院卒業歴や師事歴はあったが、そんな候補者はザラに居る。その時点では落とすか迷うほどだったが、事前審査の録音でも、最終選考の演奏でも、純粋に音楽に入り込んだ、表情豊かな演奏と甘い音色でレイノルズをはじめとした団員たちを魅了した。
ハンスには目立ったコンクール歴はないのに、ソリストを目指さないのが不思議なほど飛び抜けた才能がある。そんな彼は、ヴァイオリンについては刺激し合える相手もおらず、自分の技術や音楽性を高いままに保つモチベーションが減りつつあったリチャードを久しぶりに刺激した。そのハンスが22歳で入団してから2年が経った。
(ハンスがヴァイオリンを始めた理由はジャニスと聞いたときは驚いたな。ハンスは、私がかつてジャニスを潰したと知れば憎むだろうか。
同じ業界にいれば遅かれ早かれバレるだろう。
憎まれるのも良いのかもしれないな。私はそれだけのことをしたし、覇気さえ出ればもっと伸びるハンスを煽ることができる。
ハンスが飛び立つのをもし誘導できたら、せめてもの罪滅ぼしになるのかな。
もう自分のせいで誰かを蹂躙したくないし振り回したくない。ハンスも、、ヨハンのことも。)
リチャードは自分の辿ってきた過去の中へ、列車の車窓から見える冬の荒野を眺めながら、苦い気持ちで逍遥した。
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