第175話

2人は、スタジオに入ってから、昔よく合わせ、CDも出したバルトークのデュオから、後半を中心に久しぶりに一緒にヴァイオリンを弾いた。18年はヴァイオリンを手にしておらず、記憶喪失時には弾き方すら思い出せなかったジャニスは、今やヴァイオリンで短大を優秀な成績で卒業し、表舞台には出ないがヴァイオリンで稼いでもいるので、昔ほどではないが彼女らしい演奏を取り戻していた。

技術だけならブランクのせいでリチャードはもちろん、ハンスは言わずもがな、ライオネルと同等かくらいになっているが、表現力や感性があの頃を彷彿とさせ、それどころか、苦しみから立ち直ったせいかより鋭敏になっている。


リチャードが、ジャニスの弾きかたに色々と、この25年感じなかった刺激を受けて自分の弾き方に反映するのに没頭していると、ジャニスがキリが良い箇所で演奏をやめる。

そしてヴァイオリンをテーブルにおいてから、まだヴァイオリンを構えているリチャードの隣に身体をくっつけて座る。


「2時間半も合わせたわ。ちょっと疲れたね。休もうよ。」


「、、ジャニスと弾くとやっぱり楽しくてどんどん弾きたくなってしまう。いなかったんだ、、君みたいな奏者がさ、、これじゃ私はもう成長ができないと思って、一旦演奏はやめてヴァイオリンに違うアプローチをすることにした。

、、私はほんとに呆れる馬鹿だよ。、、君みたいな才能がある奏者を、、私は、、」


リチャードは言いながら、自分もヴァイオリンをジャニスのヴァイオリンの隣に置く。


「私、表には戻らないわ。誰かにヴァイオリンを教えたり、弾いてレコーディングして、、たまに曲を提供して、、顔も名前も出さずに演奏を使ってもらい、お金がもらえたら十分なの。

リックみたいに強くない。でも、別に良い音楽さえしていれば、名前や顔なんか出す必要もないじゃない?

それを享受した企業やお客様から、業者を媒介してお金が得られれば生活も困らない。

、、今の時代、いろんな音楽の発信の仕方があるから私助かってるの。」


ジャニスは、昔のように不安定な表情や言動で舞台への嫌悪を述べず、自分の今の活動に満足している様子で微笑んで話し、リチャードの腕にまた絡みつく。


「その通りさ。わかってるよ、私にも君の音楽を享受することが、良いことだって言いたかっただけさ。、、君はやっぱり私の感性を刺激してくれる、そこからもっとこうやってみたい、こんな弾きかたや解釈もありだなと思考が止まらなくなった。でも、、今の私じゃそれを形にするにはやはり力量不足に感じる。君と弾いてみて、やっぱりヴァイオリンに違うアプローチをする時期なんだと確信が持てた。


、、君は天才だし美しいよ。、、内面も外面も演奏もピュアだ。、、そして気高い。いつだって君は世間に迎合しない。迎合して上手くやってるつもりでいる私と違って。」


リチャードは昔と変わらない魅力だが、昔より知性に磨きがかかり、落ち着きを得たジャニスに昔より更に強く惹かれ、なんとかそれ以上は駄目だと制御しながら、ハグする。

しかし、ハグをするとジャニスの絹のような長い焦茶の髪の感触、甘いが強くはない香水の香り、華奢だが女性らしい丸みがある肩などが感じられ、思わず肩や腰を何度か撫でてしまい、そのあと、手を伸ばし頭を優しく撫でる。


「制御しないで良いって言ったじゃない。もっと私に触れて良いの。私もリックがほしいもの。欲しかったの、リックが。炎みたいに強くて、良くも悪くも熱いけど、実はたくさんのマッチで作った大きな炎で、、細いマッチがいつ折れるか不安になる、、そんな貴方が好き。

ヴァイオリンも相変わらず自分の全てをぶつけるように弾くのね。演奏会の後はそれで死んだように寝ちゃうの?昔と変わらず。」


ジャニスは、リチャードに愛の言葉を囁きながら、少し背を伸ばしてリチャードに口付けしようとした。アルトに近いメゾソプラノの、囁くような話し方も変わらない。リチャードは首を振る。


「やめてくれ。、、これ以上だめだよ、年甲斐もなく恥ずかしいけどやばい。無理だ、我慢できなくなる。。君にはザイフェルトさんが。」


「嫌だ。昔みたいにしてって言ったわよ。

初心だった私に身体的な触れ合いを教えてくれたのは貴方よ。」

ジャニスに彼女独自の潤んだ瞳で上目遣いで見つめられ、リチャードは断りきれないのと罪悪感と、単純に制御できなくなってきて、ジャニスに近づき、唇を合わせる。

2人は互いの口の中でも触れ合いながら、昔のようにリチャードがジャニスの様子に問題がないのを見ながら、押し倒す形で2人はソファーに寝そべり抱き合う。


そうして10分くらいが経った。昔なら、ここで、リチャードが先導してジャニスの服を一枚ずつ脱がせ、ジャニスもリチャードを脱がせた。しかし、リチャードはジャニスが自分の身体に触れてきて煽情する中、強い自制心でそろそろやめなければと考える。リチャードが自分の本能と理性の戦いでせめぎ合う間に、ジャニスがリチャードのシャツの第一ボタンから開け始めたので、リチャードは慌てて先に起き上がり、ソファから離れた。


「、、ありがとう。、、ここまでにしよう。私が君をひどく傷つけて、君のヴァイオリニストとしても、君自身としても尊い18年間を奪ったのに、、こんなことさせてもらう資格なんかないのに。。


君はやっぱりすごいよ。私が同じことされたらきっと許せない。」


「憎んでるわよ。許してるけど。」


「、、それは当然だと思う。でも、ならなんでこんなことできる?それどころか君はこれ以上を、、身体を交えようとした。君は一体、」


「許したけど憎んでるわ。憎むのと許すのは違うもの。だからあなたも私への憎しみをなくす必要なんかない。、、愛ってそうよ。愛していたから裏切りに深く傷つき、憎しみまで行くの。、、あなたが今は私にもう何も感じず、女として愛していなければ、私はあなたが私を傷つけた理由が愛だと実感できなかったから、、許さなかったかも。許せないけど憎まなかったかもしれないわ。


でも試したかっただけじゃなく、あなたと最後に身体も交えたいの、、。

良いでしょ、最後だから。」


ジャニスは自分も立ち上がり近寄り、リチャードを見上げて話すと、とうとうリチャードのシャツのボタンを全てあけ、黒いジーンズの社会の窓に片手をかけたが、リチャードはジャニスの華奢な両肩を優しく持ってジャニスを自分から遠ざけ、シャツのボタンを止め直しながらジャニスから2メートル以上離れた。


「ダメだ。、、このあとお茶したら帰ろう。

、、それで私たちのデートは終わり。この後は君さえ許してくれるなら、音楽家として、知人として交流しよう。

君を愛してるから私で汚したくないんだ。わかってくれ。」


リチャードは、ジャニスが上目遣いでこちらを見ながらまた近づいて来るのを見て、甘い言葉で優しく語りながら、ジャニスをハグして片手で髪を梳きながら説得した。

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