第154話

「、、ありがとうございます。失礼ですが、多分僕は幼かったから覚えていなくて。いつ頃お会いしたのでしょうか。」

ヨハンはダリルに握手を求めながら尋ねる。ダリルは、父より少し体格は良いが身長は5センチほど低く、父より少し高いヨハンからは見下げる形になった。


「、、君が5才の時かな。リックがぶっ倒れて入院したときさ。びっくりしてわざわざベルリンまで行って俺も見舞ってやった。世話の焼ける奴だ。」


「余計なことは良いんだよ。、、久しぶりにパブでひっかけるか?」

父はダリルが言うとあまり当時を思い出したくないのか話を遮ってから、また微笑みダリルを誘う。


「、、え?ならヨハンくんと、、新しい彼女?も一緒に行こうぜ。、、さすが元プレイボーイだな。随分マリアさんのこと引きずってきたけど、素敵な女性を見つけちゃって。きっとマリアさんもお前が元気な方が喜ぶさ。」


ダリルはカザリンとも軽く握手してから、父に言う。


「、、久しぶりに会うんだから二人で行こう。お前の都合が良ければ、だけど。」


「、、家、取り壊すんだろ?

お前の性格だと一人で来ると思ったけどヨハンくんや彼女が一緒で安心した。誰だって思い出の場所がなくなったら辛いのに、プライドが高くて頑固だからな。」

ダリルは父がヨハンたちと早く離れようと誘っても首を振り、父に逆に尋ねる。


「彼女にも、ヨハンにもこれは関係ないことだからな。、、ダリル。お前にも、な。

関係ないことに人に踏み入ってほしくない。自分の世話は自分でするさ。」


父は誰にも自分の過去と内面に立ち入らせない、と言いたげに、腕組みしてダリルの目を見て真顔で話す。


「父さん、さっきも言ったけど、」


「関係なくはないよ。法律的にもヨハンくんはあの家の相続権がある。

それに、お前があのときのように生きていけなくならない、と自信を持って言えるか?

何を意地になってるのか俺にはよく分からないけど、変に意地を張って抱えこんだ結果、いちいち不安定になってる良い年の男なんて、迷惑極まりないぜ?

、、自分がそんな暗い顔をして、二人を幸せにできるのか?」


ダリルは、ヨハンが父に反論しようとしたのに割入り、父に一方近づき、穏やかながら確信を持った口調で説得し始めた。


ダリルの穏やかで健やかな空色の瞳に、親身に真剣に見つめられ、意地を張っている様子だった父も困ったようにブラウンの瞳を逸らす。

薄い色合いの茶髪に、空色の大きく穏やかで精悍な瞳、痩せすぎていない体格。少し剃り忘れた顎髭、紺の営業マンらしいスーツ。砕けすぎても気張りすぎてもいない口調。

ヨハンが知る、父が普段付き合っている、どこか神経質さや繊細さがあるクラシック演奏家とは違う雰囲気だ。その健全さと大らかさに、父はこれまでも何度も助けられてきたのだろう。


しばらくしてから、父はダリルにブラウンの瞳を先ほどの意地になっている様子はなく向けた。


「自分が幸せじゃないと、人を幸せになんてできない。それはそう思うよ。

たださ、、家族と過ごした思い出が消えるのを私が乗り越えるかどうかは、私にしか対峙できないことじゃないか。

来てくれたのは、、気持ちはありがたいけどその分カザリンもヨハンも自分の時間を無駄にしてしまうことになる。、、、それがどうしようもなく嫌なんだ。、、特にヨハンは、、私のためじゃなく自分のために若い時の大事な時間を使ってほしい。、、だからやっぱりアメリカに帰ってくれないか。、、私は大丈夫だから。」


父はダリルに話してから、ヨハンとカザリンを振り返り、ヨハンに歩み寄って願い出る。


「、、僕がヴァイオリンに挫折してさ、心身がおかしくなって家で寝込んだり、閉鎖病棟にいたときに、」


「その話はやめよう、別に今する必要ないだろ。」


父はヨハンが話し出すと、ダリルにヨハンの内情を聞かれるのを気にしてか、強引に拒否する。


「僕も嫌だった。父さんが、、何千人を感動させられるヴァイオリンを弾ける手で、僕の入院の荷物を用意したり、僕の世話をしたりするのがさ。でも父さんは言っただろ。自分にとってはそれがヴァイオリン弾くより今は大事なことだし、自分で選んでやりたくてやってるんだっ、て。僕も同じなんだよ。」


「私はお前の親だから、お前を保護すべき義務もある。、、けど、逆は、、私の介護をするのはまだ先の話のはずだよ。私がもっと支えてやれていたらあのときもお前は苦労せずに済んだかもしれない。、、だから、あのときの分、今お前の時間を、」


「かもしれない、なんてありえないよ。そのときあったことを糧にしていくしかないじゃないか。、、この数年、僕はそう思って頑張ってきたんだよ。

僕は、ここに来たことも無駄になんかしない。ここで父さんの横にいることで父さんを支えるだけじゃなく、僕の糧にする。


、、父さんの家族が僕以外は亡くなったのも変わらない事実だ。家の取り壊しも予定は変わらない。、、けど、家がないと、その人が亡くなったら、父さんとしては、思い出も消えるの?


父さんには悲しみしか残らず何も糧にはできない?

、、父さんはあのとき、僕が何を失敗しても、今の僕に至る大切な経験だから自分には全てが大事なものだって言ったはずだ。

、、、なら自分の人生にだってそう思えなきゃ説得力がない。、、僕やシュヴァルツ先生を幸せにしてくれるんだろ?なら有言実行してみせてくれ!」


ヨハンが今まで父に言えなかった本心をさらけ出しながら鼓舞すると、父は返す言葉も思いつかずに困ったようにこちらを見つめ、黙ってしまう。


「まあ、、今日は遅いしリチャードが根性見せるのは明日からにするか。

パブに行きついでに、久しぶりに帰ってきたんだから古い顔に絡んでいこうぜ。」


ダリルは父の様子を見て、父の右肩に片手を置いて言ってから、先に歩き出す。


「古い顔?良いよ、そんなに長く滞在しないし。」


「、、ミシェルを思い出すから嫌だって?

そんなのミシェル対してあんまりだよな。

良いから来いよ。」


ダリルは父に来るように催促する。父が気が乗らない様子のまま着いていくので、ヨハンもそれに続いた。



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