フリーダ



 ――いつからだろう。背後に、この邸宅の主が立っていたのは。


「私が初めて引き取った孤児の子だよ。フリーダという名だった」


 触れたところから震えが伝わらないように、エマは両手を力一杯握りしめて耐えた。コルネリウスはエマの言葉を待っているのか、それ以上何も言わない。


 落ち着け。自分は何も知らない客人だ。何もおかしな発言はしていないはず。


「……だった、とは?」


 ファーストネームに過去形をつける理由など限られるが、察しが悪いふりをして尋ねた。


「死んでしまったんだ。まだ成人したばかりだったのに……事故で、ね」

「……すみません、私……」


 振り返って謝罪しようとしたが、肩に乗った手はエマをその場に縫い付けるように重く、体を少し捻るだけに留まる。内心驚いたが、平静を装ってコルネリウスを見上げた。自然と、ハイネにもらったロケットペンダントに手を伸ばしながら。


「はは、大丈夫だよ。謝らないで」


 視界の端に哀しげな微笑みが映る。少なくともエマには、上辺だけの表情には見えない。


「さっきも言ったように、フリーダの死は事故だ。しかし私は保護者として責任を感じずにはいられなかった……。彼女が死んでから暫くして、孤児の子ども達を引き取って世話をするようになった。まるでフリーダへの償いのようにね」

「…………」

「けれど今は、引き取った子どもたちが立派に成長して巣立っていくことを、私は心から幸せに感じている。あぁ、私はこのためにフレーベル家に生まれたのだと思ったよ。フレーベルならば、どんな子どもでも確実な将来を約束してあげられるからね」


 ――しかし、フリーダにその将来は訪れなかった。

と、エマは心の中で付け加えた。


「今この邸宅に私と住んでいる子はゾフィーだけだが、フレーベル家を出た子どもたちは世界中で活躍している。……君もそのうちのひとりになってくれると、私はとても嬉しいよ、エマ」


 ようやく手が離れていこうというその瞬間、指先でするりと肩を撫でられた気がして、総毛立つのを感じた。しかし、あくまで『気がした』だけだ。こんな風に感じてしまうのは、ただの自意識過剰かもしれない。


「……お父様、もうお仕事は終わったの?」


 沈黙を破ったのはゾフィーだった。居心地が悪そうに、もじもじと指先を胸の前で絡めている。そんな娘に、コルネリウスは苦笑して見せた。


「あぁ、大したことではなかったからね」





 それからは三人で他の美術品を見て回った。先ほどの出来事が悪い夢だったように、誰もがいつも通りの態度を貫いていた。全員で取り繕うようなその空気は、エマにとってこの上なく神経をすり減らすものだった。


 翼を広げた天使の彫刻を見終えたところで、ゾフィーは気遣うようにエマの顔をのぞき込む。


「ねぇエマ、歩き回って疲れてない? 良かったら私の部屋に来てよ。部屋の中なら使用人も入ってこないし、ゆっくり出来るわ。ね?」


 最後はこっそり耳打ちされた。願ってもない提案だ。


「そうさせてもらってもいい? ゾフィーの部屋も見てみたいし」

「ほんと? じゃあ行こ!」

「おっと、ガールズトークにまでお邪魔するわけにはいかないね。帰る時には声をかけてくれ、お客様を見送りたいから」


 コルネリウスはにこやかにそう言うと、使用人に「あとは頼んだ」と声をかけて立ち去った。エマは周囲に気付かれないよう、ホッと小さく息を吐いた。

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