無力感



「な、なんっすか」

「いや、被害者のプロフィールを見たんだ。カミラ・クルーガーの身長、女性にしては高いほうだったから印象に残っていた。しかも、ヒールがあるタイプのブーツを履いていたそうだな」

「はぁ……?」

「エマ・ブラントとカミラ・クルーガーの身長差から考えて、と思っただけだ。そんなことも分からないのか?」


 ぽかんとジャンが口を開ける。フィリックスは険しい顔で切り捨てた。


「おまえは人を疑っていいほど考えを深められていないようだ。口を慎め、バシュレ」


 ――身長差の話だけで、エマの疑惑が晴れるわけではない。例えば被害者を転ばせたり、脅して跪かせたりしたのだとしたら、身長差があっても犯行は可能だ。他にも、いくらでも可能性は考えられる。


 しかし、フィリックスが指摘したかったのはそこではない。ジャンの杜撰な推理力だ。ジャンの考えの穴を指摘することで、この話を聞いていた人々のエマへの疑いがある程度和らぐだろう。実際、こちらをチラチラと盗み見ていた人々の視線が、エマからジャンに移っている。


 ジャンは悔しげに歯を食いしばり、フィリックスを睨み付けた。


「……口を慎んだ方がいいのはそっちじゃないっすか」

「何のことだ? ……エマ、ここを少し下った先にベンチがある。少し休んだ方がいい」

「おいっ、馬車の乗車記録改ざんの件は、まだ疑いが晴れてないんだからな!」


 フィリックスはジャンを一瞥し、エマの肩を抱いて歩き始める。


 エマは一歩一歩地面を踏みしめるたびに、途方もない無力感を味わっていた。





 フィリックスはカミラと面識があったわけではないが、憔悴したエマを見て、何も言わずにここまで付き添ってくれた。きっと、ヨーゼフとの約束を果たそうとしているのだ。


 フィリックスに促されてベンチに腰を下ろし、エマは両手で顔を覆う。


「ごめんなさい……何も出来なくて、頼りきりで……」

「親代わりを立て続けに失ったんだ。平気でいられるほうがどうかしている」

「……でも、そろそろしっかりしなくちゃ」


 足音が聞こえる。見なくても、不思議とそれが誰のものなのか分かった。自分を奮い立たせるように、エマは顔を上げて呟く。


「落ち込んでる暇、なさそうだから……」


 視線の先。ふたりの人影がこちらに向かって歩いてきていた。上等な喪服に身を包んだ、コルネリウスとゾフィーだ。


「エマ……!」


 ゾフィーが駆け寄ってきて、エマに抱きつく。ヨーゼフの時と同じように。


 ただ、カミラはゾフィーにとっても育ての母だ。いくらカミラの厳しさを苦手としていたとしても、その喪失感は計り知れない。目から大粒の涙を零し、細い肩を震わせるゾフィーの体を、エマもそっと抱きしめ返した。


「――エマ、大丈夫……では、ないだろうね。今にも倒れてしまいそうだ」


 コルネリウスは、エマと視線を合わせるように屈み、さも心配そうな顔つきで言った。


 しかし、エマの返事を待つより先に「……君は?」とフィリックスのほうを向く。鋭い視線を感じ取ったのだろうか。必死に感情を抑えるエマとは違い、フィリックスは警戒心を隠そうともしていない。番犬と称したジャンの言葉を、そのまま体現しているかのようだ。


「……ヴォルフガング傭兵団、フィリックス・アイゼンです。フレーベル男爵」

「傭兵か。すまないが、エマと話がしたい。席を外してもらっても?」

「…………」


 フィリックスと目が合い、エマは小さく頷いた。ここは抗う術もない。


「……かしこまりました。すぐ近くにおりますので、何かあればお呼びください」


 すぐ近くに、を強調して礼をし、フィリックスはその場を離れた。彼の姿が見えなくなると同時、コルネリウスはエマに向き直り口を開く。


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