決別
「――エマ、こんな時だが……いや、こんな時だからこそ、考えてくれないか。フレーベル家の子に……私の娘になることを」
「……こんな時、だからこそ……?」
「あぁ。さっき、赤い髪の傭兵との話を聞いてしまったんだ。エマ、君に殺人の嫌疑が掛かっているそうだね。……いいや、もちろん私はそんな話は信じていないさ。しかし、あの傭兵は君が犯人だと決めつけているようだった。手柄でもほしいのかもしれないね」
「…………」
ジャン・バシュレ。ヴォルフガング傭兵団に所属する傭兵で、フィリックスの部下。過去にエマに声を掛け、断ったことをきっかけに、何かと嫌がらせをしてくる男。
今日も、エマに疑いがかかっていることを、わざわざこんな場で宣言してみせた。
「家族になれば、苦しい時や辛い時、いつでも君の傍にいてあげられる。何より、あらゆる理不尽から君を守ってあげられるだろう。フレーベルの娘になるということは、それだけで社会的な信頼と地位を得ることに繋がるのだよ」
――まるで、この会話のお膳立てをするかのように。
「エマ……」
コルネリウスは、高価な服が汚れるのも厭わず、その場に跪いてエマの手を握る。
「私に、君を救わせてくれないか?」
――エマの心は打ちのめされていた。
人は精神にゆとりがないと、正常な判断が出来なくなるという。
海の底で酸素を求めるように、差し伸べられた手を自然と取ってしまうのだ。それがなければ生きていけないと、錯覚するのだ。だからエマも、涙を流しながらコルネリウスの手を取ると……この男は、本気でそう思っているのだろう。
エマの心は、確かに打ちのめされていた。
それでもまだ、こんな茶番に頷くほど堕ちてはいない。
「……コルネリウスさん、ありがとうございます」
本当は、手を思いっきり払ってやりたかった。しかしハイネの、断り方にも気を付けるようにという忠告が頭を過ぎり、ぐっと歯を食いしばって耐えた。
「でも、やっぱり、私は自分がフレーベル家に相応しいと思えないんです」
「――エマ」
コルネリウスの瞳が動揺に揺れ、するりと手を離す。腕の中で泣いていたゾフィーも顔を上げ、哀しげにエマを見つめた。
「エマ……どうしても駄目なの?」
「ゾフィー」
もう一度問いたくて、エマはゾフィーの肩をそっと掴む。
「ねぇ、ゾフィーは今、幸せなのよね?」
「……どうしてそればっかり聞くの」
「教えて」
「幸せよ。大好きなお父様と一緒に暮らせて、私は幸せ。エマも一緒にいてくれたら、私たち……もっと幸せになれると思ったのに」
整った顔をくしゃりと歪ませて、ゾフィーは縋った。胸が切りつけられたように痛む。
しかしゾフィーが幸せだというのなら、エマがそれを奪う権利はどこにもない。同時に、エマにとっての幸せはエマだけが決められるものだ。
「……ごめんね」
エマは立ち上がると、ふたりに辞儀をしてフィリックスが待機する方向へと向かう。
「エマ。……残念だよ」
背後でコルネリウスが小さく呟いたが、エマは振り返らなかった。
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