禁忌
ふと、周りの景色が変わりつつあることに気付いた。
暗闇と白い顔以外に何も見えなかったモルス・マーレに、ちかちかと瞬く光が幾つか浮かんでいる。微かな、しかし確かに存在する光。その変化が何を現しているのかは、分からない。
そして、その先に――エマは、一際大きな銀の光を見つけた。
「ハイネ!」
エマは叫び、精一杯手を伸ばす。指先が光に触れると、ゆっくりとハイネが姿を現した。
エマが見慣れた、少年の姿。けれどその左半分は、まるで崩れた石膏像のように形を失っている。ただ、フリーダ達のように半透明になってはいない。
「起きて、ハイネ!」
片方しか残っていない手を握りしめ、必死に呼びかけると、伏せた睫毛が微かに震えた。シアンの瞳が覗き、ぼんやりとエマの姿を捉える。
「……エミリア……? 迎えに来て、くれた……のか?」
「違うわ! 私よ、エマよ!」
――意識が朦朧とする中、ハイネは、エマとエミリアを見間違えた。
やっぱりそうだったんだ、とエマは思う。
ハイネの記憶の中では、エミリアの顔は苦悶に歪み、赤く腫れ上がってしまっていたせいで確証が持てないままだったが――エマと、エミリア……母の容姿は、よく似ているらしい。
雨の中、リンベルクでハイネに繋がる道を探していた時。
エマを導いてくれた女性の姿は、まるで未来のエマを映し出したかのようだった。
「……エマ、だって?」
ハイネはゆっくりと、目を見開く。
初めはただ驚くのみだった表情が、すぐに絶望の色に塗り替えられた。
「――なんで。どうしてエマが、モルス・マーレに……」
「私はまだ生きてるわ。死んでしまったみんな……先生やカミラさんが、ここまで導いてくれたの。死者と意識を通わせること……生と死の世界を繋ぐことが、私の能力だったから」
「……なんてことを」
ハイネは残った全身をわななかせ、悲痛な怒鳴り声をあげた。
「自分のしたことが分かっているのか、エマ! 生者の身でこんなところまで来て、何を考えてるんだ! 僕は死神との契約で命を差し出した。あとは魂が消えるのを待つだけだ! 契約不履行と見なされたら、あいつが何をするか分かったもんじゃない……!」
ハイネが何を恐れているのか、今のエマには分かる。
ハイネは
片手で顔を覆い、ハイネは項垂れる。
「それなのに……どうしてこんなところまで来てしまったんだ、エマ……」
「……じゃあ、ハイネはどうして私の代わりに命を差し出したの?」
エマが静かに問うと、ハイネは弾かれたように顔を上げた。ふたりの視線が交差する。
「――……エマ、……何で、知って……」
「教えて。どうして?」
シアンの瞳が揺れた。
「僕が何故、エマを助けたか、だって?」
動揺の奥に、炎のような感情を灯しながら。
「そんなの……そんなの、決まってるじゃないか!」
感情の全てを吐き出すように、ハイネは叫んだ。
それに負けない大声を、激情に乗せてエマは張り上げる。
「私だって同じよ!」
虚を突かれたようなハイネの顔が、涙で歪んだ。
「私だって、ハイネを失いたくない! 同じ想いなの! あなたが大切なの!! どうして、それを分かってくれないの!!」
もはや自分でも、怒っているのか泣いているのか、分からなかった。ただ子どものように、心のままに喚いて、なんとかハイネに想いを伝えようとしていた。
「それなのに、勝手にいなくなって! 私がどれほど悲しかったと思ってるのよ……!」
「……ごめん」
「……だから私も、勝手に来た! 生者が死者の世界に来ることは、間違ってる。ハイネと死神の契約を私がめちゃくちゃにするのも、間違ってる。全部、分かってる! でも……!」
エマはハイネの肩を掴み、その目を真っ直ぐに見て言った。
「もう、私たちはとっくに禁忌を犯しているわ。死ぬはずだった人間が生きて、生きるはずだった人間が死ぬ……一番の間違いは、そこでしょう?」
エマが生きていること。ハイネが死んだこと。それが、そもそもの間違いだったのだ。
ハイネの顔色が変わり、弱々しく首を横に振る。
「……そんなこと、言わないでくれ。エマ……」
「ハイネがしてくれたことを全て否定したいわけじゃない。だけど、間違いを気にするなんて今更だってこと」
エマは崩れゆくハイネの頬に、そっと手を添えた。
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