この世で最もくだらない



 ――ヴォルフガング傭兵団に所属する傭兵たちは、平和な世になった今でこそ雇い主の領地の治安を守ることが主な仕事だが、十年ほど前まではよく戦場へと駆り出されていた。


 当時、まだ少年だったフィリックス・アイゼンは生活の為に傭兵団に志願した。そうでもしないと暮らしていけないほど、セメル人にとっては過酷な時代だったのだ。


 フィリックスはセメル人の中でも頑丈な身体を持って生まれ、傭兵としての素質は群を抜いていた。それでも、仲間の支援も無く少年が生き延びられるほど戦場は甘くなかった。


 ――大怪我を負ったまま川縁に放置されたフィリックスは、気付くと質素なテントの中で寝かされていた。重い頭を僅かに動かすと、白髪交じりの男が見えた。薬研やげんで何かを碾いているらしく、ガリガリと耳障りな音がする。


「気付いたか」

「……だ……れ……」

「喋るな。傷が開くぞ」


 全身が痛かったので、どこに深い傷があるのかも分からない。それでも、目覚める前よりは幾分痛みは軽くなっていた。ただ、男は自分の目の色に気付いただろうから、これ以上は助けてはくれないだろうと思っていた。


 ……しかし、フィリックスの予想は外れた。男は何日にも渡ってフィリックスの治療を続け、歩けるまでに回復させた。特に深手を負った左目は失明の恐れさえあったが、男の手当によってそれも免れたのだ。


 それからようやく、男の口から経緯を聞いた。男の名はヨーゼフ・ファスベンダー。ヴォルフガング傭兵団に雇われた、リンベルクという町の薬師だった。別の傭兵から死にかけの少年兵を放置してきたと聞き、拠点を抜けてここまでやって来たという。


 その傭兵から、少年がセメル人だということも聞いていたらしいヨーゼフに、フィリックスは尋ねた。


「どうして、俺を助けたんですか」


 包帯を取り替えてくれていたヨーゼフは、ふんと不機嫌そうに鼻を鳴らして言った。


「この世で最もくだらん質問だな、小僧」


 ――と。





 それから数年が経ち、セメル人への差別を禁じる条例が制定されてから、フィリックスは偶然リンベルク勤務を言い渡された。領地同士の摩擦で時々起きていた戦も殆どなくなり、恩人が住む町の治安維持に努めようと意気込んだものだ。


 この町で、ヨーゼフは腕の良い薬師として名が知られていた。フィリックスが店を探し当てて訪れると、髪がすっかり白く染まったかつての恩人はゆらりと新聞から顔を上げた。


 ヨーゼフは、すぐにあの時の少年だと気付いたようだった。フィリックスは再会を喜び、改めて礼を言った。ヨーゼフは感謝の言葉にこそ素っ気なく頷いたものの、あの時の治療費は決して受け取ってはくれなかった。


 そのあと暫くして、ヨーゼフが女の孤児を引き取り弟子にしたという噂を聞いた。あの気むずかしい男が引き取った少女とは一体どんな子なのかと気になったが、意外と多忙を極めたリンベルクでの任務がフィリックスの時間を奪い、ふたりが顔を合わせることはなかった。


 ――そんな中、あの蒸し暑い夜がやってきた。


 フィリックスは上官との付き合いで町外れの酒場に来ていた。一杯目のエールが届くと同時、奥の席に座っていた老人が「ふざけるな!」と声を張り上げテーブルを叩いた。客は少なく、酒場にしては静かだったために、その怒声はよく響いた。


 周囲の視線には目もくれず、さっさと店を出てった老人がヨーゼフであることに気付き、上官の制止も無視して、フィリックスは後を追おうと立ち上がる。


 店を出る直前、ヨーゼフと会話していた人物に視線をやった。フードを被っているが、体格的には男に見える。彼の前には、革の袋いっぱいに詰め込まれた金貨が置かれていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る