あなたのために




 ピシッ、ピシッと断続的に音を立てながら、全身に放射線状のヒビが走る。しかし、所々に見える断面は人間のそれではない。信じられない光景に、エマはただ言葉を失っていた。


 そしてついに、甲高い音を立てて体が砕け散る。破片が飛散し、虚空に消えていく。


 キラキラと光を反射させる光景は、恐ろしいのに、どこか幻想的で。


、バレちゃった……」


 その破片の中心に、人が立っていた。


 両手で顔を覆っていても、それが誰なのか、エマに分からないはずがなかった。


「……ゾフィー」


 消え入るような声でその名を呼ぶと、ゾフィーは両手を下ろし微笑んだ。


「こんばんわ、エマ。……あぁ、駄目ね、私ってば。エマには初めて見せる姿だもの。お父様に教えられたように、ご挨拶しなくっちゃ」


 ゾフィーはそう言うと、スカートの裾を持ち上げ、膝を曲げてカーテンシーのポーズを取る。


「ゾフィー・フォン・フレーベル。魔名まなを、鏡像の魔術師――と、申します」


 マゼンタの瞳は、暗がりの中でも宝石のように煌びやかだ。


「以後、お見知りおきを。……お父様に言われたの。魔術師は正式に挨拶をするとき、魔名を名乗るって」

「……魔術師……」


 たくさん聞かなければならないことがある筈なのに、最初に出て来た言葉はそれだった。ゾフィーは答える代わりに、人差し指で空中にスッと横線を描いた。


 光の筋が浮かび上がり、そこから何かがゆっくりと姿を現す。ゾフィーの手の中に収まったもの、それは手鏡だった。彼女の家で見た、コルネリウスから貰ったという手鏡。


「前に話したよね。私、孤児院を出たばかりの頃は辛くて毎日泣いていたって。鏡を見て、自分とは違う人になりたい、エマになりたい……って願ってたって。そしたらね……」


 ゾフィーは手鏡を自分の顔の前に掲げ、そのあとこちらを覗き見るように首を傾げる。そこにいたのは、ゾフィーではなく、にっこりと微笑むエマだった。


「本当に、なれちゃった」

「…………!!」


 なんということだろう。目の前で起きた出来事に、エマは世界がひっくり返るかのような衝撃を味わっていた。それは、ゾフィーが自分そっくりに化けたからだけではない。ひとつの憶測が脳裏を過ぎったせいだ。


 それを口にするはあまりに恐ろしく、喉を詰まらせている間に、エマゾフィーの姿が再び〝割れた〟。


「……この姿は、時間が経ったり、正体がバレるとすぐに解けちゃうの」


 ゾフィーは元の姿に戻ると、淡い金の髪を整えながら続ける。


「でも、この魔術便利なのよ。動物にも変身出来るの。例えば、鴉とか」

「……あの、鴉……」

「あぁ、エマはやっぱり察するのが早いね。そう、私よくエマを見てたの。お父様の言いつけで、鴉に化けて。あっ誤解しないでね、見守ってただけだから!」

「そんな言葉……もう信じられない……」


 エマは力なく首を振って、友人の言葉を否定する。ゾフィーは悲しげに眉尻を下げ、胸の前で両手を握った。


「お願い。信じて、エマ。全部、あなたの幸せを想ってやったことなの」

「ふざけないで!」――と、エマの怒声が広い倉庫に響き渡る。

「フィリックスの姿で騙して、私をこんな場所に閉じ込めたのも幸せのためだって言うの?!」

「……ごめんね。私、エマを傷つけるつもりはなかった。本当よ。だけどお父様が、フィリックスって傭兵とエマを引き剥がさなきゃいけないって」

「私を孤立させて、それで養子にしようって!? 狂ってるわ……!」


 エマの言葉を聞いた瞬間、さっとゾフィーの顔色が変わる。そして、


「お父様の悪口を言うな!!」


 今度はゾフィーが、怒りに任せて声を張り上げる番だった。その気迫は、明るく穏やかな気性を持つ彼女から発せられたとは思えない。目をつり上げ、荒々しく呼吸を繰り返していたゾフィーだったが、突然ころりといつもの調子に戻る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る