【完結】魔術師ハイネのアトリエ
水奈月 涼香
第1章 死者の絵は語る
魔術師からの手紙
小道に並んだ木々の一部が、色付き始めているらしい。
今朝、顔見知りの子どもたちが足下に落ちた一枚の葉を拾い、興奮したように話してくれたけれど、生憎エマは季節の移り変わりに感動するような情緒を持ち合わせてはいない。植物の見た目よりも、それが薬として使えるのか否かが気になる性分だった。
そんなエマが妙な噂を耳にしたのは、数日前のことだ。
『魔術師ハイネ・ヴァイツは、死者の無念を絵に描き出す』
この世にごく少数存在するという魔術師。彼らの能力について、エマは本で読んだ知識しか持っていない。確か、物を少し動かしたり、見た目を一時的に変えたり――そんな例が書かれていた。死に関する魔術もあるのかと、エマは漠然とした恐怖を覚えたものだ。
しかし、それからたった数日後。
エマは、最近この町に越してきたという件の魔術師、ハイネ・ヴァイツを訪ねるために、並木道を歩いている。
自らそうしようと思い立ったわけではない。不可解なことに、彼から手紙が届いたのだ。シンプルな便せんには、線が細く美しい字と少々古風なつづりで、こう書かれていた。
『エマ・ブラント様
突然手紙を差し上げる無礼をお許しください。先日、逝去されたヨーゼフ・ファスベンダー様についてお話がございます。
貴女様のご都合良き日に、ローシェンナの屋根の家までお越し下さい。いつまでもお待ちしております。ハイネ・ヴァイツ』
そして手紙の最後には、小さな家の絵も添えられていた。
エマはひとしきり驚いたあと、まずローシェンナという見慣れない単語を調べた。知らないことに出会ったら、それがどんなに些事でもすぐ調べるようにと、師であるヨーゼフ・ファスベンダーによく言い聞かせられたのだ。
ローシェンナとは、赤と黄を混ぜたような色の名らしい。手紙に描かれた絵の屋根も、それらしき色で塗られている。
ローシェンナの屋根の家。いくらリンベルクが小さな町とはいえ、そんな説明と絵だけで場所を特定するのは困難だ。しかし不思議なことに、エマの足が迷うことは一度もなかった。
町外れ、ひと気のない自然の道。木に囲まれたトンネルを通り、視界が開けた先に見えた家は、まるで手紙の絵がそのまま飛び出してきたかのようだった。
外壁はところどころ欠けたレンガ造りで、白く縁取られた小さな窓はエマから見える範囲に2つ。庭には花壇と、アンティークなデザインのハンドポンプが見えた。
趣のある古家であったが、エマは特に見入るでもなく、風に遊ばれ乱れた髪を整えた。柔らかく細いオリーブグリーンの髪は、ほつれやすくていけない。
慣れた手つきでリボンを結い直し、束ねた髪を軽く払うと、エマは錆びた鉄の門を開けて中に入った。
扉の前に立って深呼吸。白い息が消えてしまう前に、ノックをした。
「ごめんください。エマ・ブラントです」
暫く待ったが、返事はない。待ちかねてもう一度ノックしようとしたところで「どうぞ」と返事があった。予想外に高い声だ。女性のそれとまではいかないが、まるで――
「……失礼します」
考えるより先に、エマは扉を開けた。見た目よりも重く、ギィと小さく音が鳴る。
中に入った瞬間に感じたのは、むせかえるほどの油の匂いだった。思わずたじろぎつつ、部屋の内部に視線を走らせた。
複数のイーゼルが不規則に置かれ、そのうち幾つかにはカンヴァスが固定されている。古びた布のようなものを被せられているので、中身を見る事は出来ない。
「ようこそ、僕のアトリエへ」
中の様子に気を取られていたエマの耳に、声が届いた。声の主は窓際に佇み、こちらを静かに見つめている。
その姿に、エマは思わず息を呑んだ。
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