偶然か、必然か



                ◆



 ――それは、偶然か、必然か。最後まで、ゾフィーは気付かぬふりをした。


 魔術を封じ込める枷を付けられ、ゾフィーは移送用の馬車に乗せられていた。いつもならこんな枷、コルネリウスの権力を使えばすぐに外せる筈だった。


 しかしあの傭兵、フィリックスとかいう男にしてやられた。ジャン、スカーレット、そしてゾフィーを捕らえた上、フレーベル家が今までに積み重ねた様々な罪の証拠や証言をかき集め、世間に公表したのだ。


 ヴォルフガング傭兵団の上層部はほぼコルネリウスの支配下にあったが、現団長の実家にあたるヴォルフガング子爵――この人物までは、掌握できていなかった。そこを突かれた。


 告発を受けた子爵が、疑惑だらけのコルネリウスを守る理由など何もなかった。子爵家として真相究明への助力を行い、金を積まれてコルネリウスの犬と化していた息子を団長の任から解き、辺境に追いやることで責任を取るという噂だ。


 カミラの殺しに使った店の店長や、ゾフィーの義兄にあたるジャンが、拷問の末に口を割ったのも大きかった。コルネリウスの逮捕も目前だと、傭兵のひとりが話しているのを聞いた。


 それでも、ゾフィーはいつか父が助けてくれると信じていた。父なら最後には苦難に打ち勝つだろうし、何より自分を愛してくれているからだ。


 枷の嵌められた手で、胸をそっと抑えたその時。ガタンと大きな音と、馬のいななきが聞こえた。そのまま馬車は傾き、崖から落下した。


 ……しかし、ゾフィーだけは奇跡的に生きていた。皮肉なことに、ゾフィーの自由を奪っていた頑丈な檻が、命を守ってくれたのだ。


 ゾフィーは壊れた檻から這い出て、兵士の遺体から鍵を奪って枷を外すと、魔術も駆使して家へと向かった。これも、神の――お父様のお陰だわ、と思った。


 フレーベル家に引き取られたばかりの頃。辛くて、毎日泣いてばかりの……何も分かっていない、馬鹿で、愚かな自分だった頃。コルネリウスは何度も言って聞かせた。父の言うことを聞いていれば、必ず幸せになれるんだよ、と。


『辛くても笑いなさい。それだけが、お前の取り柄なのだから』

――はい、お父様。


『今日も、大切な取引先の接待だ。教えた通りに、出来るね?』

――はい、お父様。


『魔術に目覚めただって? その力、私のために使ってくれ!』

――はい、お父様。


『私に楯突いた男がいるんだ。殺してくれるかい? ゾフィー』

――はい、お父様。


『やってくれたのか! いい子だ、ゾフィー……愛しているよ』

――……私もです、お父様。


 ゾフィーは今までのことを思い出しながら、愛する父の書斎へと向かった。驚く使用人たちを押しのけて、ただひたすら真っ直ぐに。


 書斎で頭を抱えていたコルネリウスは、突然の来訪者に驚愕した。


「ゾフィー! お、お前、移送されたんじゃ……馬車は……」


 お父様! と、ゾフィーはすぐさまコルネリウスに抱きつく。無様に捕まり、事故にも遭ったが、機転を利かせて逃げたことを褒めてほしかった。


 しかし、血と泥に汚れた娘の体を、コルネリウスはすぐに引きはがす。


「……お父様?」

「お前は……お前は本当に、どうしようもないハズレだったな、ゾフィー」


 コルネリウスはゾフィーの肩に指を食い込ませ、声を震わせた。


「マナーもロクに覚えられない、勉強も出来ない。接待用に見た目で選んだのに、痛がってばかりで客を愉しませられない……むしろクレームだらけだ! この私に、不利益ばかり与えて……だからすぐにでもが欲しかったんだよ、私は!」


 見たことのない父の姿に、目をしばたたかせる。


「エマ・ブラント……孤児院で見た時は陰気なガキだと思った。けど、茶会に招いてみればどうだ? ちゃんとすればお前に引けを取らないじゃないか。マナーも完璧だった。頭もお前よりずっといい。それに、あの薬店で培った薬の知識は色々と役に立つだろうと……」

「何? 何言ってるの、お父様!」


 ゾフィーは殆ど叫ぶように言った。しかしもう、コルネリウスの耳には届いていない。


「あの薬師殺しも、魔術を使えるならお前でも完璧にやれるだろうと思って任せたのに、見られていたなんて……クソッ!」


 ――心が、血を流し始める。何かが心臓に突き刺さったように。


 でも、あれ? 今刺さったものじゃないみたい?


「高貴な者は、美しい顔と若い体だけではなく、品や知性も求めるんだ。孤児を一から、フレーベルに相応しい女に育てるには時間がかかる。なかなか良いのがいなかった。だから手っ取り早くエマ・ブラントを狙ったのに……あの勘の良さは何だ? フリーダのことまで調べられて、後戻りも出来なくなって……お前が、ゾフィーがもっと上手く立ち回っていれば……」

「お父様、エマを手に入れたら私を捨てるつもりだったの?」


 小首を傾げて尋ねると、コルネリウスはハッと我に返り、微かにたじろいだ。


「……いや、お前は唯一無二の……魔術の力を持っている。捨てることはしないさ」


 あぁ、良かった。やっぱり自分は幸せ者だと、そうに違いないと、ゾフィーは胸を撫で下ろした。コルネリウスも少し安堵した表情を見せる。


「ゾフィー、お前にしか頼めないことがある」

「なぁに、お父様?」

「もう一度捕まってくれ。そして言うんだ、父は何も関与していないと」


 優しげな声とは裏腹に、コルネリウスの目は血走っていた。


「ジャン……あいつは私を裏切った。全く、あいつが一番の失敗作だよ。ゾフィー、お前はやれるね? 父を守ってくれるね?」


 はい、お父様!


 ――と、言い慣れた言葉を返すつもりだった。


 しかし、気付けば別の言葉を……呪いを、吐いていた。


「鏡像の魔術、鏡刃きょうは――」


 花が咲き乱れるかのような、笑顔で。


「――断頭だんとう


 笑えと。


 それだけがお前の取り柄だと、お父様が、言ったから。






 ――部屋が真っ赤に染まって、この光景、お姉様が喜びそうだなと思う。すぐに音を上げたお兄様と違って、頑なに黙秘を続けるスカーレットお姉様が。


 ゾフィーは、部屋にあった姿見を見つめた。笑顔が消えていないことを確認し、そして密やかに、唱えた。


「鏡像の、魔術――」



――――……

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